2021年5月5日水曜日

目次

この「ブログ」は、宋詞を鑑賞しようとして作られています。 ただし、筆者は詞が好きなだけで中国語も知らない素人です。そのおつもりでお読みください。 広く中国で愛されている女流詩人の生涯と作品を伝えられればと思います。 李清照(りせいしょう、1084年 - 1153年)は、北宋末期・南宋初期の中国詩史上の代表的女流詩人です。朱淑真及び呉淑姫の詞も加えました。   杉篁庵庵主

このブログに掲載される記事一覧(各題ごとにそのページにリンク)

宋詞について

李清照の生涯(「金石錄後序」による)

・李清照全詞集(四九首)

 「詞」には本来「題」はなく、歌の曲を示す「詞牌(=詞の形式名)」で呼ばれている。
 「題(副題)」のある場合は(  )内に記すが、詞牌だけでは何の詞か判然としないので「初句」を記している。 

以下各題ごとにそのページにリンクしています。
  詩牌(題) 初句 
1 如夢令 常記溪亭日暮
2 如夢令 昨夜雨疏風驟
3 點絳脣 寂寞深閨
4 點絳脣 蹴罷鞦韆
5 浣溪沙 莫許杯深琥珀濃
6 浣溪沙 小院閑窗春己深
7 浣溪沙 淡蕩春光寒食天
8 浣溪沙 髻子傷春慵更梳
9 浣溪沙 繡幕芙蓉一笑開
10 菩薩蠻 風柔日薄春猶早
11 菩薩蠻 歸鴻聲斷殘雲碧
12 訴衷情 夜來沈醉卸妝遲
13 好事近 風定落花深
14 清平樂 年年雪裡
15 憶秦娥 臨高閣
16 攤破浣溪沙 揉破黃金萬點輕
17 攤破浣溪沙 病起蕭蕭兩鬢華
18 添字採桑子 窗前誰種芭蕉樹
19 武陵春 風住塵香花已盡
20 醉花陰 薄霧濃雲愁永晝
21 南歌子 天上星河轉
22 怨王孫 湖上風來波浩渺
23 鷓鴣天 寒日蕭蕭上鎖窗
24 鷓鴣天 暗淡輕黃體性柔
25 玉樓春(紅梅) 紅酥肯放瓊苞碎
26 小重山 春到長門春草青
27 一剪梅 紅藕香殘玉簟秋
28 臨江仙 庭院深深深幾許
29 臨江仙(梅) 庭院深深深幾許
30 蝶戀花 暖日晴風初破凍
31 蝶戀花(昌樂館寄渚姊妹) 淚濕羅衣脂粉滿
32 蝶戀花(上巳召親族) 永夜懨懨歡意少
33 漁家傲 天接雲濤連曉霧
34 漁家傲 雪裡已知春信至
35 殢人嬌(後亭梅開有感) 玉瘦香濃
36 行香子(七夕) 草際鳴蛩
37 行香子 天與秋光
38 孤雁兒 藤床紙帳朝眠起
39 滿庭芳 小閣藏春
40 滿庭芳 芳草池塘
41 鳳凰臺上憶吹簫 香冷金猊
42 聲聲慢 尋尋覓覓
43 慶清朝慢 禁幄低張
44 念奴嬌(春情) 蕭條庭院
45 永遇樂 落日熔金
46 多麗(詠白菊) 小樓寒
47 長壽樂(南昌生日) 微寒應候
48 減字木蘭花 賣花擔上
49 瑞鷓鴣(雙銀杏) 風韻雍容未甚都

・李清照詞補遺(一四首)

 李清照全詞集に採られているのは四九首です。
 しかしその他、李清照作品として伝わるものも多いのです。李清照全詞集に採られていない作品は、清照作が疑われた作品ですが、ここに掲載する詞は、その中でも李清照の作としてもいいのではないかと思われるものを、補遺として挙げています。
「詞牌(=詞の形式名)」次に「題(副題)」のある場合は記し〔( )内にあるのは異本による〕、次に「初句」を記しています。

補1 怨王孫 (「春暮」) 夢斷漏悄
補2 怨王孫 (「春暮」) 帝裡春晚
補3 浪淘沙 (「閨情」) 簾外五更風
補4 青玉案 (「送別」) 征鞍不見邯鄲路
補5 采桑子 (「夏意」) 晚來一陣風兼雨
補6 浪淘沙 (「閨情」) 素約小腰身
補7 如夢令  誰伴明窗獨坐
補8 品令   零落殘紅
補9 品令   急雨驚秋曉
補10 鷓鴣天  「春閨」  枝上流鶯和淚聞
補11 青玉案 (「春日懷舊」) 一年春事都來幾
補12 新荷葉  薄露初零
補13 憶少年  疏疏整整
補14 菩薩蠻  綠雲鬢上飛金雀

・追補 李清照漢詩(五首)

李清照の漢詩は断句も含めて二十首ほどある。
ここでは五首を揚げる。
なお、原詩と詩論の原文を一覧としてまとめてある。
・絶句(夏日絶句・烏江)
・春殘
・題八詠樓
・偶成
・曉夢
 ・一覧・李清照の漢詩と詩論

 
・朱淑真の詞(二五首)

・朱淑真について
1.憶秦娥 正月初六日夜月
2.浣溪沙 清明
3.生查子 元夕
4.生查子 (寒食不多時)
5.生査子 (年年玉鏡台)
6.謁金門 春半
7.江城子 賞春
8.減字木蘭花 春怨
9.眼兒媚 (遲遲春日弄輕柔)
10.鷓鴣天 (獨倚闌干晝日長)
11.清平樂 夏日游湖
12.清平樂 (風光緊急)
13.點絳唇 (黃鳥嚶嚶)
14.點降唇 (風勁雲濃)
15.蝶戀花 送春
16.菩薩蠻 (山亭水榭秋方半)
17.菩薩蠻 秋
18.菩薩蠻 木樨
19.菩薩蠻 (濕雲不渡溪橋冷)
20.鵲橋仙 七夕
21.念奴嬌 二首催雪 その一
22.念奴嬌 二首催雪(その二)
23.卜算子 (竹裡一枝斜)
24.西江月 春半
25.月華清 梨花
・補遺 浣溪沙(春夜)・自責二首 


・呉淑姫詞(五首)

 「吳淑姬」は北宋末期の女流詩人。生卒不詳。浙江の人(山西萬榮縣西南の人とするものもある)。《陽春白雪詞》五卷がある。「薄命詞人」と呼ばれる。
 父は早死し、結婚生活は順調でなく、一生、苦労して、屈辱の中にその人生を終わったという。文人の楊子治の妻。
 ここでは代表作とされる、四首を掲載。
1.小重山(春愁)
2.惜分飛(送別)
3.祝英台近(春恨)
4.長相思令

 

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宋詞について

   詞は宋代を代表する文学として、極めて重要な中国韻文の一ジャンルに位置しています。
「漢文・唐詩・宋詞・元曲」という言葉があります。これは、それぞれの時代を代表する文学のジャンルを示す言葉です。
 では、詩と詞は何が違うのでしょう。
 現代日本でもこの二つの言葉は日常的に使い分けています。
作詞作曲とか歌詞という語があります。一般に読むのが詩で、メロディが付いて歌われるのが詞という具合です。
 詞は、宋の詞といわれますが、その作品は、晩唐五代両宋はもちろん、元明代にも続き、さらに清代には再び活況を呈して、近現代に及んでいます。
 ですから詞は、歴代中国文人の創作活動や教養にとって、欠くべからざる分野として確固たる地歩を占めているのでした。
 宋詞の詞風は大きく8種類(北宋5、南宋3)の類型に分けられ、そのなかで最も影響力があったのは豪放詞と婉約詞といわれます。豪放詞の代表的な詞人は蘇軾・辛棄疾で、また劉過・陳亮・劉克荘がいます。婉約詞の代表的な詞人は柳永・秦観・晏殊・李清照で、また欧陽脩・周邦彦・姜夔・晏幾道らがいます。
「詞(宋詞)」は、普通は「填詞」、或いは単に「詞」ともと呼びます。
その形を見てみますと、唐詩に比べ一句の文字数が一定でなく、長短不揃いであり、句数も色々。この多様で、複雑な形をしているのは、一つには、形式の上から、更には詠い込む対象・内容の違いから、また詞の社会的な地位(詩は科挙の課題であった)から来ています。また、初期には歌として歌われ、歌詞として発達してきたという側面もあり、曲調にあわせて、長短入り混じった句で出来ています。
 詩の形式は五言と七言の絶句・律詩・排律で、その調べは十数種類ですが、それに対して宋詞の形式(詞調)では、長短句入り混じり、平仄、押韻の形式も数多く作られ、その種類は八百二十五調、千百八十余体、或いは千六百七十余体があると言われています。そしてそれら各形式(詞調)毎に、形式の題名=「詞牌」が冠せられています。詞牌とは本来は詞の題名ではなくて、形式名、音曲名と謂えるものです。
 実際の詞を見てみると、詩とは全く違った趣を持っているのが解りますが、長短句の入り混じった複雑なリズム、平仄の韻律も近体詩に比べ格段に複雑・多様です。このように表現が極めて多彩で、それに伴い制約も極めて多いというわけで、日本人にはお手上げ状態となって、読んだり作ったりをあまりしないので、宋詞は高校までの漢文学習では現れません。
 あまり親しみのない部分ですが、中国の人は、より現代語に近く、より繊細な感情を表している分、詞に親しみを感じているようです。

 このブログで取り上げるのは宋代の女流詞人による詞です。
 その代表的女流詩人で「第一女詞人」と呼ばれる李清照は、その波乱に富んだ人生から生まれた詞ゆえにか、唐詩には見られない女心の憂悶や沸き上がる情熱を詠っていて心惹かれます。
 彼女の生涯については、彼女自身で記した「金石錄後序」をもとに記します。
 この李清照と並んで宋代女性作家の双子星座と称されるのが朱淑眞です。「断腸詞人」と呼ばれています。
 李清照と朱淑真は全詞を挙げました。(補遺として李清照の詞と思われる一四首も挙げています)
 もう一人は「薄命詞人」と呼ばれる呉淑姫。ここでは代表作とされる、四首を掲載しています。



李清照の生涯


 李清照 

中国の若手画家(中国画)2000年、『現代中国美術展』ジャオ・グオジンとワン・メイファンの作品
興盡晩回舟,誤入藕花深處(興尽き晩に舟を帰し誤りて藕花の深処に入る
夕刻舟を帰そうとして蓮の花が群咲く中に迷い込んでしまった  李清照の詞「如夢令」より

金石錄後序」 李清照

『金石録後序』は、趙明誠が編纂した『金石録』のあとがきとして、夫の明誠が亡くなったあと、夫の代わりに出版した李清照が、亡夫と過ごした楽しい日々とその後の苦難を回想して書いたものです。趙明誠は、宋の官吏であり、この時代から始まった「金石学」という学問の研究者でした。妻である李清照も教養高く、夫とともに蒐集研究に打ち込んでいました。

 ここには、先ず、結婚して書画金石の蒐集に励む、ほほえましくも甘美な二人の新婚生活の様子が愛おしげに語られています。以来、二人は終始書画金石の蒐集整理に精励してきました。そうしてこのことにすべての精力を費やすことに歓喜と幸福を覚えていました。それは「聲色狗馬」に上回る快楽だったといいます。この後彼女の運命は波乱を向かえるのですが、この長くは続かなかった幸福な時期があってこそ、彼女の悲しみを含む詞は深みを持つのだと思います。

 やがて、この幸福な家庭生活は時代の奔流にあっけなく潰え去っゆきます。二人を襲った運命が如何にその幸福を打ち崩していったかが、克明に記録されています。その経緯が、この文章の丁度半分にあたる分量になるのですが、「後書き」という枠を越えて記されています。そこには、これまで心血を注いで集めた膨大な蒐集物を1127年から1132年の間に次々と失っていく様子が、息もつかせぬ筆致で記されています。幸福な生活が、政乱戦乱のなか、悲惨に破滅していく描写は、戦記物の戦を描く筆致に似て冷徹な目と激情とが一体になった名文です。

 このページは、「金石録後序」の「口語訳」と「原文」と「李清照略年表・エピソード」からなります。


[口語訳]

  《金石録》後序  李清照

右の『金石録』三十巻とは何かと申しますと、趙徳甫【趙明誠】の書き表したものでございます。夏・商・周の三代より後梁・後唐・後晋・後漢・後周の五季迄の、鐘、鼎、甗、鬲、盤、匜、尊、敦の款識、豐碑大喝、顯人晦士の事蹟を取り上げております。凡そ金石刻の二千卷を見ることになります。皆これらは誤りを正し、善し悪しを取捨選択し、聖人の道に適うものより、歴史家の誤りを正すに足るものまで、これら全てを実に多く掲載しております。
 ああ、王播より元載の禍は、書畫と胡椒との差別はありません。長輿と元凱の病も金銭への執着と伝承への執着に何ぞ殊なりましょうか。名は違ってもその惑いは同じものです。古物蒐集とはなんと失われやすい空しい営みではありましたでしょう。

私は建中靖国元年(1101年)に趙【明誠】のもとに嫁ぎました。その時先君は礼部員外郎、丞相は吏部侍郎でございました。この時、夫趙明誠は二十一歳、太学の学生でございました。(私は十八歳、夫はすでに金石学で名を知られておりました。明誠の父趙挺之はこの翌年に宰相になりました)
 趙と李の家はそれぞれ名族でもなく、もともとつつましい生活をしておりました。私たちは毎月陰暦の1日と15日の休暇にいつも衣類を質に入れて五百文の銭を持って相国寺にゆき,開かれている市の碑文と果物を買ったものです。帰ると、二人で向かいあって碑文を鑑賞しながら果物を食べました。「まるで昔の葛天氏(古代の帝王)の頃のつつましく平和に暮らしていた民びとのようです」と語りあったりいたしました。

(☆義父・趙挺之は僅かの間だが宰相になりました。ただし、実権は蔡京にありました。新法派として旧法派の弾圧に力を注ぎました。私(李清照)の父李格非は旧法派に属していました。趙氏に嫁いだとき父は礼部員外郎でございます。夫の父趙挺之は吏部侍郎(次官)でございました。私(李清照)はこの旧法派と新法派の争いにまきこまれることになってしまったのでした。又この争いは、その繰り返しによって、宋の力を弱めていったのです。
そうした結果、やがて1127年(建炎1)に北宋は終りを迎えることとなります。)

結婚して、二年後、夫は出仕いたしました(1103年。科挙には合格しませんでしたが、高官の子弟という特権で出仕いたしました)。そこで、食事も着るものも切りつめて、遠方絶域を極めて、天下の古文奇字を集め尽くそうと志を立てました。
 月日を過ごすうちに着実に進捗して,それらは次第に増えていきました。丞相は中央政府に居られましたし(当時、義父の趙挺之は新法派で、次官ですが大臣がいないため、事実上の大臣でしたし、僅かの間ですが宰相でございました)親戚旧友には帝室図書館に勤務するものもおりましたから、散逸した詩経の詩篇や史書、孔子旧宅壁中の書、汲郡の古墳中の簡書などまだ見たこともない書物等を沢山見ることが出来ました。それでいつのまにか写し取るのに夢中になり、やがて初めてわかるおもしろみを覚えて、止められなくなってしまいました。それからは古今の名人の書画、一代の奇器などを見つけるや、度々市で衣服を脱いで金に換えて買い取ったりもしました。

今でもよく憶えておりますが、崇寧年間(11021106)の頃のこと、徐煕の牡丹の図をお持ちの方がいて、銭二十万を求められました。当時高貴の家の子弟といっても,二十万銭を要求されても、どうして簡単に工面できましょう、できるるものではありませんでした。二晩手元に留め置きましたが、結局買い取ることはできず返すしかありませんでした。夫婦向かいあって数日の間、惜しみ嘆き憂えたものでした。

それから郷里(青州。いまの山東省益都県)に十年引きこもることになりました (1104年、義父の趙挺之が亡くなります。その三日後、趙一族は追放され青州に帰ることとなり、この後十年間郷里におりました)。あれこれ収入もあり、また衣食にも余裕もできました。夫は続けて二つの郡の太守をつとめましたが(莱州と青州の郡守になられました)、その俸給はすべて、古書校訂につぎ込みました。一書を獲得すれと、すぐ二人で校閲をおこない、整理をして標題を付ける。書画や古青銅器が手にはいると、撫でさすったり広げたり巻き納めたりして、きずをたしかめたりして、一晩に蝋燭一本を燃やし尽くすのが慣わしでした。ですから装丁は精緻、字画は完壁、収書家として最も優れていたと自負いたします。

私は生まれつき記憶力に恵まれていましたので、食事がすむといつも、「帰来堂」(青州にあった趙家の書斎・書庫でございます)に坐してお茶をいれ、うずたかく積み上げられた書物を指さして、「あの事はあの本の何巻の何葉の第何行に有ったわ」などと言って、当たりかどうかで勝負をしては、お茶を飲む順番を決めたものでした。当たれば茶碗を挙げて大笑いして、ついにはお茶を着物上にこぼしてしまって、かえって飲むこともできずに席を立つ始末。ですけれど、こうして老いていければよいと思っておりました。ですから憂患困窮にあっても、志を曲げることはなかったのです。

収書が完成すしまと、帰来堂に書庫を設け、大きな本箱には目録を整え、書物を収めました。閲覧する際には、鍵を請け出し帳簿に付け、それから巻秩を探すようにし、少しでも汚損すれば、必ず修復補正を要求されたり、整うほどに以前のように気ままではいられなくなりました。これでは快適さを追求して、逆に堅苦しくなってしまいました。私の性分では耐えられず、それで食事からは肉を抜き、着物からは模様ものを抜き、首には宝石などの飾りを無くし、部屋には塗金刺繍の調度を無くして、家の書で、字に欠損がなく、編集に誤謬のないものは、すぐにそれを買い求めて、副本を備えることにしようと決心したのでした。もともと我が家では周易、左氏伝を家学としておりましたから、この二門に関わる文献は、最も備わることになりました。こうしてテーブルにずらりと並べ、枕元に無造作に重ねて、意にかない心のむくまま、目を遊ばせ思いを満たし、その楽しみは音楽・色恋・ペットといった愛玩に優るものでございました。

 靖康丙午の歳(1126年)のこと、夫は淄川(山東省溝川県)の知事でしたが、金軍が都に侵入したと聞ききました。茫然とまわりを見渡わすばかりで、手箱や箱に溢れるほどのものに、恋々とし、亦一方では心痛め、全て自分のものではなくなってしまうのだろうという予感を持ったのでした。

建炎丁未(元年・1127)年の春三月、姑の葬儀もあって南下いたしました。多くは載せきれませんので、まず版型の大きな書物を外し、次に幅数の多い絵画を除き、次に款識のない古器を除きました。その後また官書・普通の絵・大きく重い器物を除きました。こうして次々減らしましたが、それでもやはり書物は車十五台になってしまいました。東海(江蘇省東海県)まで来ましたあとは、舟を連ねて淮河を渡り、長江を渡って、建康(江蘇省南京市)にまいりた。青州の屋敷にはまだ書冊や什器が、十あまりの部屋に留められてあり、次の年の春にもう一度船に積んでくる予定でおりました。しかし、十二月になると、金軍が青州を陥れ、その十あまりの部屋の物はすべて燃え尽きてしまいました。

翌、建炎戊申(1128年)の秋九月、夫は今度は建康府の知事になられましたが、その翌年、己酉(建炎1129年)の春三月には辞され、舟で蕪湖(安徽省蕪湖市)に上り、姑孰(安徽省当塗県)に入り、贛水のほとりに居を構えることにいたしました。

夏五月、池陽(安徽省貴池県)に至りました。そこで湖州の知事の辞令を受け、都に上り皇帝に拝謁するため、一家を池陽に止めたまま、単身赴くこととなりました。六月十三日、荷を背負い、舟から岸に上がって座っておられた時、葛で織った夏着に頭巾を額まで上げて、虎のようなお心持ちなのか、眼光は爛々と人を射て、舟に向かって別れを告げられました。私は大層嫌な予感がいたしました。そこで呼びかけたのです。「もしこの町に危険が迫まりましたら、いかが致しましょうか。」夫は手を振って遥か遠くから「皆に従いなさい。やむを得ないときはまず旅の荷物を捨てなさい。次に衣類、その次は書冊と巻物、その次が古器、先祖の位牌だけは自分で抱えて、生きるも死ぬも身につけて離さないこと。忘れないでください。」とおっしゃって、馬を走らせて行ってしまわれました。途中大急ぎで馬を走らせ、酷暑を冒したからでしょうか、夫は病を得てしまいました。行在所に着いたときには熱病におかされておりました。七月末に、手紙で病に伏せっていると知らせがありました。私は驚き恐れました。夫はもともと性急な性分です、どうしたらいいでしょう。熱病に罹って熱が上がると、きっと熱冷ましを服用するでしょう、それではますますひどくなると心配致しました。そこで舟のとも綱を解いて川を下り、一昼夜三百里を奔らせました。着いてみますと、やはり柴胡・黄苓などの薬を大量に服用していて熱に加えて下痢までしおり、危篤状態でございました。私は悲しみの涙にくれ、後の事をたずねることもできませんでした。八月十八日、ついに起きず、筆を取って詩を作り、書き終えて亡くなられたのでした。特には死後の事は何も仰いませんでした。  

葬儀は終わりましたが、私には身を寄せる所もございません。朝廷ではすでに後宮の人々を分散させておりましたし,長江も渡航禁止という噂でございました。その時まだ書籍二万巻,金石の拓本二千巻,食器や寝具は百人の来客に対応できるだけのものがありました。ほかの家具もそれに見合うだけの数がございました。しかしまた、私までもが大病を患い、僅かに息をしているといった有様のなか、情勢は日々緊迫の度を加えておりました。

夫の妹婿に当たる方で、兵部侍郎の官にあって、皇太后の護衛をして洪州(江西省南昌市)にいる人がいらっしゃることに思い当たり、昔からの部下二人を使いに出し、先に一部荷物を送り、そこに身を寄せようと思い至りました。しかし、その冬十二月、金軍が洪州を落とし、万策尽きてしまいました。あの舟を連ねて長江を渡って来た書物も、雲・霞とちりぢりに消えてしまいました。わずかに小さな巻軸の書帖・写本の李杜韓柳の文集・世説新語・塩鉄論・漢唐の石刻の副本数十軸・三代の鼎鼐十数点・南唐の写本といったものが数箱だけ残ったばかりです。たまたま病中の慰みとして、寝室に持ち込んでいた物だけがやっと残っただけだったのです。

長江上流にはもう進めず、敵の勢いは予測しがたいところがありました。弟の迒が勅令局の冊定官をしておりましたので、そこに頼ることにし、台州(漸江省臨海県)に着いてみますと、知事はすでに逃亡しておりました。上陸し、衣類などを捨て,黄巌(漸江省黄岩県)に逃げ、舟を雇って海に出て、行宮に逃げのびました。当時仮御所は章安(漸江省臨海県東南)にありましたが、そこから御船の後に従って温州(漸江省温州市)に船を奔らせ、それからまた越州(漸江省紹興市)に参りました。

庚戌の年(1130年)の十二月、百官の解き放ちがあり、そこで衢州(漸江省衙県)に逃げました。

紹興辛亥の年(1131年)春三月、再び越州に赴きました。壬子の年(1132年)、今度は杭州(漸江省杭州市)に赴きました。亡き夫の病気が重かった時、張飛卿という学士が、玉の壷を携えて見舞いに来たことがございました。そのまま持ち帰っていきましたが、実はそれが大変な宝玉でございました。誰が言い伝えたのか存じませんが、敵に通ずるとの噂が広がり、また密かに弾劾の準備が進められているとも聞こえてきました。私は恐れおののき、申し開きも逃げもせず、家中の銅器などの器物を、尽く朝廷に寄進しようと思いました。越州に来たとき、皇帝はすでに四明(漸江省寧波市)に移られておりましたので、家中には止め置かず、写本と一緒に剡に預けて置きました。そのあと官軍が反乱兵を捕らえたとき、持ち去られ、全て前の李将軍の家に収まったと聞きました。やっと残っていた物も、こうして十のうち五・六は無くなってしまいました。ただ残っております三十五箱ほどの書画硯墨だけは、もう他に置いておけず、常に寝台の下に置いて、自分の手で出し入れしておりました。会稽(漸江省紹興市)におりましとき、当地の鍾氏の屋敷内に居がありましたが、ある晩、壁の穴から五つの箱が持ち去られました。私は悲しみ堪えきれず、懸賞を立てて買い戻そうとしました。二日後,隣人の鍾復皓が十八軸を持ってきて報償を求めました。それで盗人は近くにいると知れたのでした。いろいろ手は尽くしましたが、その他の物はついに出て来ませんでした。今では、それらは転運判官の呉説が安値で手に入れなさったということが分かっております。やっと残っていた物は、とうとう十のうち七八が無くなり、有る物といえば、一二の不完全な書冊、数種類の平凡な書帖だけとなりました。それでも尚また自分の頭や目のように愛おしんでおります。何と愚かなことでございましょう。

今日この「金石録」を見るにつけて、亡き夫に会っている気が致します。それにつけても夫が東莢(山東掖縣)の静治堂におりました時、初めて装幀の欠損を繕い、栞を作り帯をつけ、十巻を束ねて一帙を作った時のことを思いいおこします。夫は役所を終えた後の夜毎、二巻を校閲し、一巻の解題を記しました。これらは二千巻になりましたが、その内解題がつけられたのは五百二卷にだけでした。今もって夫の筆跡は新たに思われますが、夫の墓前の樹は既に大きく育っております。悲しみは増すばかりです。

昔、南北朝時代の梁の元帝(508~554)は西魏軍により江陵が陥とされた時、国の滅ぶるを惜しまず、十数万巻に及ぶ蔵書は元帝自身の手で全て焼き払われました。また、暴君といわれ、また愛書家でもあった煬帝(楊廣569~618)は離宮のある江都で滅んだ時、己の死を悲しむことなくその蒐集した図書に執着したと言います。人の性情の現れる所は死に臨んでも変わらないものなのでしょうか。或いは私の命少く、この珍しき文物を享受し尽くさないというのも、天意なのでしょうか。抑も亦死者にも知があって猶愛惜の情深くあるというのならば、人として留まろうとは思いません。なんと得るは難く、失うは易きことでしょう。

 ああ、陸機が作賦した二十歳より二年若いときから、蘧瑗が非を知った五十歳より二歳過ぎるまで三十四年の間(18歳から52歳まで)、愁いも得たことも失ったこともなんと多いことでしょうか。有あれば必ず無があり、集まれば必ず散らばる、それが道理というものでしょうか。故事に言うではありませんか、弓を失った人がいれば、またこれを得る人もいるのです、道理と言うに足りましょうか。ここに事細かにその一部終始を記しましたのは、またこの後、古きものを集め雅を広めようとする人の為の戒めともなればと存じてでございます。

 紹興五年(1135年)八月一日  易安室(李清照)記す


[原文]

 金石錄後序

 右《金石錄》三十卷者何?趙侯德父所著書也。取上自三代,下迄五季、鐘、鼎、甗、鬲、盤、匜、尊、敦之款識,豐碑大碣、顯人晦士之事跡,凡見於金石刻者二千卷。皆是正訛謬,去取褒貶,上足以合聖人之道,下足以訂史氏之失者皆載之,可謂多矣。

嗚呼!自王播、元載之禍,書畫與胡椒無異;長輿、元凱之病,錢癖與傳癖何殊。名雖不同,其惑一也。

余建中辛巳始歸趙氏。時先君作禮部員外郎,丞相作吏中侍郎,侯年二十一,在太學作學生。趙、李族寒,素貧儉。每朔望謁告出,質衣取半千錢入相國寺,市碑文果實歸,相對展玩咀嚼,自謂葛天氏之民也。後二年,出仕宦,便有飯蔬衣練,窮遐方絕域,盡天下古文奇字之志,日就月將,漸益堆積。丞相居政府,親舊或在館閣,多有亡詩、逸史、魯壁、汲冢所未見之書。遂盡力傳寫,浸覺有味,不能自己。後或見古今名人書畫,一代奇器,亦復脫衣市易。嘗記崇寧間,有人持徐熙牡丹圖,求錢二十萬。當時雖貴家子弟,求二十萬錢,豈易得耶?留信宿,計無所出而還之。夫婦相向惋悵者數日。

後屏居鄉里十年,仰取俯拾,衣食有餘。連守兩郡,竭其俸入,以事鉛槧,每獲一書,即同共勘校,整集簽題。得書畫、彝鼎,亦摩玩舒捲,指摘疵病,夜盡一燭為率。故能紙札精緻,字畫完整,冠諸收書家。余性偶強記,每飯罷,坐歸來堂烹茶,指堆積書史,言某事在某書某卷第幾葉第幾行,以中否角勝負,為飲茶先後。中即舉杯大笑,至茶傾覆懷中,反不得飲而起。甘心老是鄉矣,故雖處憂患困窮而志不屈。
 收書既成,歸來堂起書庫大櫥,簿甲乙,置書岫。如要講讀,即請鑰上簿,關出卷帙。或少損污,必懲責揩完塗改,不復向時之坦夷也。是欲求適意而反取憀慄。余性不耐,始謀食去重肉,衣去重採,首無明珠翡翠之飾,室無涂金刺繡之具。遇書史百家字不刓缺,本不訛謬者,輒市之,儲作副本。自來家傳《周易》、《左氏傳》,故兩家者流,文字最備。於是幾案羅列,枕蓆枕藉,意會心謀,目往神授,樂在聲色狗馬之上。

至靖康丙午歲,侯守淄川,聞金寇犯京師,四顧茫然,盈籍溢篋,且戀戀,且悵悵,知其必不為已物矣。建炎丁未春三月,奔太夫人喪南來,既長物不能盡載,乃先去書之重大印本者,又去畫之多幅者,又去古器之無款識者;後又去書之監本者,畫之平常者,器之竽大者。凡屢減去,尚載書十五年。至東海,連艫渡淮,又渡江,至建康。青州故第尚鎖書冊什物,用屋十余間,期明年春再具舟載之。十二月,金人陷青州,凡所謂十余屋者,已皆為煨燼矣。

建炎戊申秋九月,侯起夏,知建康府。已酉春三月罷,具舟上蕪湖,入姑孰,將卜居贛水上。夏五月,至池陽,被旨知湖州,過闕上殿。遂駐家池陽,獨赴召。六月十三日,始負擔舍舟,坐岸上,葛衣岸巾,精神如虎,目光爛爛射人,望舟中告別。余意甚惡,呼曰:「如傳聞城中緩急,奈何?」戟手遙應曰:「從眾。必不得已,先棄輜重,次衣被,次書冊卷袖,次古器,獨所謂宗器者,可自負抱,與身俱存亡,勿忘之。」遂馳馬去。途中賓士,冒大暑,感疾,至行在,病痁。七月末,書報臥病。余驚怛,念侯性素急,奈何病痁,或熱,必服寒藥,疾可憂。遂解舟下,一日夜行三百里。比至,果大服柴胡、黃芩藥,瘧且痢,病危在膏肓。余悲泣,倉皇不忍問後事。八月十八日,遂不起,取筆作詩,絕筆而終,殊無分香賣履之意。

葬畢,余無所之。朝廷已分遣六宮,又傳江當禁渡。時猶有書二萬卷,金石刻二千卷,器皿茵褥可待百客,他長物稱是。余又大病,僅存喘息,事勢日迫。念侯有妹婿任兵部侍郎,從衛在洪州,遂遣二故吏先部送行李往投之。冬十二月,金寇陷洪州,遂盡委棄。所謂連艫渡江之書,又散為雲煙矣。獨余少輕小卷軸、書帖,寫本李、杜、韓、柳集,《世說》、《鹽鐵論》,漢唐石刻副本數十軸,三代鼎鼐十數事,南唐寫本書數篋,偶病中把玩,搬在臥內者,巋然獨存。

上江既不可往,又虜勢叵測,有弟迒任敕局刪定官,遂往依之。到臺,臺守已遁之剡。出睦,又棄衣被,走黃岩,雇舟入海,奔行朝,時駐蹕章安。從禦舟海道之溫,又之越。庚戌十二月,放散百官,遂之衢。紹興辛亥春三月,復赴越,壬子,又赴杭。

先侯疾亟時,有張飛卿學士攜玉壺過視侯,便攜去,其實珉也。不知何人傳道,遂妄言有頒金之語,或傳料有密論列者,余大惶怖,不敢言,遂盡將家中所有銅器等物,欲赴外廷投進。到越,已移幸四明,不敢留家中,並寫本書寄剡。後官軍收叛卒,悉取去,聞盡入故李將軍家。所謂巋然獨存者,無慮十去五六矣。惟有書畫硯墨可五七簏,更不忍置他所,常在臥榻下,手自開闔。在會稽,卜居土民鍾氏舍,忽一夕,穴壁負五簏去。余悲慟不已,重立賞收贖。後二日,鄰人鐘百般皓出十八軸求賞,故知其盜不遠矣。萬計求之,其餘遂不可出,今知盡為吳說運使賤價得之。所謂巋然獨存者,乃十去其七八。所有一二殘零不成部帙書冊,三數種平平書帖,猶復愛惜如護頭目,何愚也耶!

今日忽閱此書,如見故人。因憶侯在東萊靜治堂,裝卷初就,蕓簽縹帶,束十卷作一帙。每日晚吏散,輒校勘二卷,跋題一卷,此二千卷,有題跋者五百二卷耳。今手澤如新,而墓木已拱,悲夫!

昔蕭繹江陵隱沒,不異惜國亡,而毀裂書畫;楊廣江都傾覆,不悲身死,而復取圖書。豈人性之所著,死生不能忘之歟?或者天意以余菲薄,不足以享此尤物耶?抑亦死者有知,猶斤斤愛惜,不肯留在人間耶?何得之艱而失之易也!

嗚呼!余自少陸機作賦之二年,至過蘧瑗知非之兩歲,三十四年之間,憂患得失,何其多也!然有有必有無,有聚必有散,乃理之常;人亡弓,人得之,又胡足道。所以區區記其終始者,亦欲為後世好古博雅者之戒云。

紹興五年玄黓歲壯月朔甲寅日易安室題。

この原文は「中國名著選譯叢書76 李清照詩文詞 譯注・平慧善 審閲・馬樟根  錦繍出版」によります。

[略年表・エピソード


  この記事に関わる略年表
1084  1  李清照生まれる。なお前年とするものもある。
1101 18  嫁ぐ。夫の趙明誠は太学生、すでに金石学で高名。
1104 21  義父の趙挺之死去。その3日後、趙一族は追放、青州に帰る。
1127 44  3月 義母、死す。青州の趙家の図書館「帰来堂」の文物のうち、良い物を選び船で建康まで運ぶ。書だけでも15車という。12月に青州に残した物を全て戦火で焼失。
1128 45  夫趙明誠、建康(南京)の知事となる。
1129 46

建康→池陽5月→衛→洪州

8月夫趙明誠死す。葬儀の後、清照病む。このときでも、蔵書は二万巻・金石刻二千巻を持っていたが、洪州で蔵書のほとんどを失う。

1130 47  →越州   現在の浙江省内を転々とする。
1131 48  3月越に戻る
1132 49  →杭州 ここを都とする ・一説に、この年再婚。
1135 52  8月金石録後序を記す
1151 68  李清照死去(はっきり示す資料はない)


 

李易安作重陽《醉花陰》詞,函致趙明誠雲雲。明誠自愧勿如。乃忘寢食,三日夜得十五闋,雜易安作以示陸德夫。德夫玩之再三曰:“只有‘莫道不銷魂’三句絶佳。”正易安作也。(《詞苑叢談》)

趙が地方に赴任していた頃、李が詞を送ったときのことです。受け取った詞があまりにすばらしく、しかし負けたくないと思った趙は、三日間部屋にこもり、寝食忘れて十五首の詞を書きとめました。そして、その十五首を妻の詞とともに友達に評価させたところ、友達は、「すばらしい句がある」といいます。待ちきれずに「どの句か」と聞くと、友達が挙げたのは、妻の詞だったというエピソードはあまりに有名なようです。この三句を含む詞は、『酔花陰』です。

    醉花陰 九日  李清照    
  薄霧濃雲愁永晝
  瑞腦消金獣
  佳節又重陽
  玉枕紗廚
  半夜涼初透
   東籬把酒黄昏後
   有暗香盈袖
   莫道不消魂
   簾捲西風
   人比黄花痩

周渾『清波雑志』巻八「中興頒」
「漕漢中興頒碑,自唐至今,題詠實繁。零陵近錐刊行,止會粋已入石者,曾未暇廣捜而博訪也。趙明誠待制妻易安李夫人,嘗和張文潜長篇二,以婦人而側衆作,非深有思致者能之乎。(引沼漢中興頒和張文潜二首)頃見易安族人言,明誠在建康日,易安毎値天大雪,即頂笠披蓑,循城遠覧以尋詩,得句必遽其夫贋和,明誠毎苦之也。」

詩想を得る毎に贋酬することをせがんで夫を閉口させたということを、周輝が李清照の親戚から聞いた出来事として書き留めています。

 
 膠蓋孫『雲自在寵随筆』巻二 
「・・・・夏首後相輕過,遂出樂天所書樗嚴経相示。因上馬疾駆蹄,與細君共賞。時已二鼓下臭。酒渇甚,烹小龍團,相封展玩,狂喜不支,爾見燭践,猶不欲賑,便下筆爲之記。趙明誠。」

 知事をしているころのこと、花咲くのどかな集落に、夏の初めに立ち寄った時、やっと白楽天の手になる樗厳経を見せてくれた。それで馬に乗って馳せ帰り、妻と二人で鑑賞した。その時すでに夜の十時をまわっていた。酒を飲んでのどが渇いたので、小龍団の茶をたて、二人向かい合わせで広げて見たが、あふれる喜びを抑えられず、ロウソクを二本灯し終わっても、まだ寝付くことが出来ず、そこで筆を執って記録をしたためた。趙明誠。





朱淑真補遺 浣溪沙(春夜)・自責二首 

 
1 
  浣溪沙(春夜)  朱淑眞
玉體金釵一樣嬌。背燈初解繡裙腰。衾寒枕冷夜香消。
深院重關春寂寂,落花和雨夜迢迢。恨情和夢更無聊。


玉體金釵一樣嬌。(玉体の金釵は一様に嬌なり)
背燈初解繡裙腰。(灯を背に初めて解く繡裙腰)
衾寒枕冷夜香消。(衾寒く枕冷たく夜の香消ゆ)
深院重關春寂寂,(深院の重關に春寂寂として)
落花和雨夜迢迢。(落花雨に和し夜迢迢たり)
恨情和夢更無聊。(恨情夢に和し更に無聊なり)

・玉體:お体。真っ白で美しい身体。
・金釵(きんさい):金でつくったかんざし。
・一樣:すべておなじさま。
・嬌:愛くるしい。うつくしい、なまめかしい。
・繡裙腰:腰にまとった美しい刺繡のあるスカート。・裙:もすそ。スカート。
・衾(ふすま):掛けぶとん。
・夜香:夜に焚かれた香。夜香木は夜になると強い芳香を放つ花、夜香花。
・深院重關:貴婦人の部屋。
・深院:奥庭。中庭。
・重關:幾重にも閉じられた門。
・寂寂:静かでさびしいさま。
・和:仲よくする。調和する。
・迢迢:遠くへだたるさま。 ここは夜の静かな深まりをもいうか。
・無聊:わだかまりがあって、心楽しまないこと。退屈なこと。気が晴れないこと。



  自責 二首    朱淑眞
女子弄文誠可罪,那堪詠月更吟風。
磨穿鐵硯非吾事,繡折金針卻有功。

悶無消遣只看詩,不見詩中話別離。
添得情懷轉蕭索,始知伶俐不如痴。


女子弄文誠可罪,(女子の文を弄ぶは誠に罪なるべし)
那堪詠月更吟風。(那(なん)ぞ堪へんや月を詠じ更に風を吟ずるを)
磨穿鐵硯非吾事,(鉄の硯を磨き穿つは吾事にあらず)
繡折金針卻有功。(金の針を繡(ぬ)い折るに却って功有り)

・那堪:どうして堪えられようか。なんぞ…に堪えん。
・磨穿鐵硯:詩文を推敲、研鑽すること。
・非吾事:私の関心事ではない。
・繡折金針:家庭婦人の仕事。


悶無消遣只看詩,(悶へ無く消遣に只だ詩を看る)
不見詩中話別離。(詩中に別離を話するは見ず)
添得情懷轉蕭索,(添へ得たり情懐転(うたた)蕭索)
始知伶俐不如痴。(始めて知る 伶俐は痴に如かずと)

・消遣:気をはらすこと。気ばらし。暇をつぶす。
・情懷:心の中に思うこと。所懐。
・轉:転(うたた)、状態がどんどん進行してはなはだしくなるさまをいう。いよいよ。ますます。一層。
・蕭索:もの寂しいさま。うらぶれた感じのするさま。蕭条。
・伶俐:頭のはたらきがすぐれていて、かしこい・こと(さま)。聡明。
・不如:及ばない。かなわない。…に越したことはない。
・痴:愚かなこと。


朱25.月華清 梨花


 月華清  朱淑眞
  梨花

雪壓庭春、香浮花月、攬衣還怯單薄。
欹枕裴回、又聽一聲干鵲。
粉淚共宿雨闌干、清夢與寒雲寂寞。
除卻、是江梅曾許、詩人吟作。

長恨曉風漂泊、且莫遣香肌、瘦減如削。
深杏夭桃、端的為誰零落。
況天氣、妝點清明、對美景、不妨行樂。
拌著、向花時取、一杯獨酌。


※この詞、テキストは三行目が、
「粉淚共、宿雨闌干,清夢與、寒雲寂寞。」である。
ここでは「粉淚共宿、雨闌干,清夢與寒、雲寂寞。」と読んでいる。


《和訓》
雪は庭の春を圧し、香りて浮かぶ花と月、
衣を攬(と)りて還(なほ)単(ひとへ)の薄きに怯(おび)ゆ。
枕 欹(そばだ)て裴回(たもとほ)り、又聞くは一声の干鵲。
粉涙の共に宿して雨闌干、清夢寒さに与(くみ)し 雲の寂寞たり。
除却す、是れ江梅の曾(かつ)て詩人に吟じ作るを許せしを。

長く恨みて暁風の漂泊し、
且(か)つは香肌に遣(つかは)す莫(なか)れ、痩せ減りて削る如し。
深き杏 夭(わか)き桃、端的誰が為に零落せる。
況してや天気、清明に妝(よそほ)い点じ、美景に対し、行楽を妨げず。
拌著して、花に向かひ時に取りて、一杯独り酌(く)む。


《語釈》
・壓:動きを押さえる、静かにさせる。制圧する、鎮圧する。
・攬:とる。抱き寄せる。掌握する、独占する。
・還:なお,依然として
・怯:おびえる。ひるむ。恐れて気力が弱まる。気持ちがくじける。
・單:ひとへ。
・欹枕:枕をかたむける。まくらをそばだてる。寒さのために、蒲団に寝たままで聴く姿勢のこと。・欹:そばだてる。一方に傾ける。「遺愛寺鐘欹枕聴」(白居易) 
・裴回:=俳佪·徘徊。同じ場所を行ったり来たりする。行き廻る。もとおる。
・干鵲:水辺のカササギ。アオサギのことか。・干:たに(澗)みぎは(水涯)ほとり。
・闌干:涙のとめどなく流れるさま。・雨闌干:雨のように涙を流すさま。
・粉淚:おしろいと涙と
・與:与。与(くみ)する。味方する。
・寂寞:ひっそりとしてさびしいさま。
・長恨:長く忘れることのできない恨み。終生の恨み。一生の恨み。
・漂泊:あてもなくさまよい歩く。流れただよう。
・除卻:除く。・卻=却:…し去る。強調の助辞。滅却、忘却と同様の用法。
・曾:かつて、以前。(動作や状況が過去に属することを示す)
・許:許す、許可する。約束する。
・且莫(しょばく):しばらく……避けられたし。しばらく……するなかれ。・且:かつ。一方では。次々に。しばらく。しばし。同時に。また。その上。・莫:…なかれ。
・遣:派遣する、送り出す。にがす。(憂いなどを)追い散らす、発散する。
・瘦減:痩せ減る。痩せ細る。
・深:色が濃い。
・夭:(草木が)よく茂った、緑つややかな。・夭桃:美しく咲いた桃の花。若く美しい女性の形容。
・端的:はたして、果然。はっきりと。確定。明白。たちどころに。
・零落:おちぶれる。
・況:いわんや。まして、さらにいっそう。なおさら。
・清明:清明節。二十四節気の1つ。4月5日ごろ。
・妝點:粧点。よそおいかざる。化粧する、装う。
・行樂:たのしみをなす。遊び楽しむこと。
・拌著:拌着。酒をかき混ぜて。
・拌:攪拌(かくはん)する。かき混ぜる。わる。なげうつ。口論する。・着:…している、…しつつある。
・時:その時。時には。


《詞意》
雪は庭の春を圧するように降り積もり、香りのなかに花と月が浮かび上がります、
衣を上に纏ってもなほ単(ひとえ)の着物の薄さに気持ちも萎えます。
枕をそばだて寝返り打って、また水辺で一声高く啼く青鷺の声を聞きます。
白粉と涙とは一緒なって雨のように流れます、清らかな夢は寒さに溶けいり、雲はひっそりとさびしいかぎり。
以前詩人が川辺の梅を詠うほどの春の暖かさでしたが、それもこのところの寒さに退けられてしまいました。

忘れえぬ恨みを思わせる暁の風が冷たく流れます、
しばらくは香りある(梨の花の)肌に吹き付けないでください、削る如くに痩せ細ってしまいます。
色濃い杏の花や美しい桃の花(のような若い私)を、はたして誰が色褪せさせたのでしょう。
ましてやこの天気、清明節にお化粧を新たにし、きれいな景色を前に、楽しみを妨げるものはありません。
濁り酒をかき混ぜつつ、梨の花に向かい時に手に取って、ただ独り一杯の酒を酌みます。



  梨の花ほのけく白く月の夜に
     かげして散りぬ また一つ散る  立原道造

 

朱24.西江月 春半

 
 西江月   朱淑眞
  春半

辦取舞裙歌扇、賞春只怕春寒。
卷簾無語對南山、已覺綠肥紅淺。

去去惜花心懶、踏青閒步江干。
恰如飛鳥倦知還、澹蕩梨花深院。



《和訓》
  春半ば
舞ひの裙(もすそ)に歌の扇を辦(あがな)ひ取りて、
春を賞(め)でつつ只だ春の寒きを怕(おそ)る。
簾(すだれ)を巻きて語る無く南山に対(むか)ふや、
已に覚めて緑肥ゆるに紅(くれなゐ)の浅し。

去り去るに花を惜しみ心懶(ものう)く、
青きを踏みて江干(かはべ)を閒歩(そぞろあゆ)む。
恰(あたかも)飛ぶ鳥の倦(う)みて還るを知る如くに(還るや)、
澹蕩たり梨花の深院。


《語釈》
・辦:買い備える。する、処理する。
・裙:もすそ。スカート。
・怕:心配する,案じる
・南山:陶潛の「飮酒二十首 其五」に「采菊東籬下,悠然見南山。山氣日夕佳,飛鳥相與還。」がある。
・綠肥紅淺:緑の葉が濃くなったが、花の赤い色はまだ薄い。
・去去:去っていく。
・懶:だるい、ものうい。おっくうだ。大儀である。気分がすぐれない。
・踏青:清明節(二十四節気の1つ。4月5日ごろ)の頃に山野を散策する。萌(も)え出た草を踏んで野に遊ぶこと。野遊び。
・閒步:しづかにあゆむ。
・江干:川岸。岸辺、川べり。
・鳥倦知還:「鳥倦飛而知還」(歸去來辭・陶潛)による。鳥が終日飛んで、倦めば、帰ることを知る。(普通、人の出処の自然なのに喩える。)
・澹蕩(たんたう):ゆったりしてのどかなさま。
・深院:奥庭。中庭。院は、塀や建物で囲まれた中庭。塀で幾重にも区切られた庭園。

※李清照の「如夢令」に「應是綠肥紅痩」がある。この「緑肥紅痩」は「緑の葉が茂り、花びらが散って花の赤い色が減った」ことを詠った擬人的な表現が有名な一節だが、ここでは、春浅き頃を詠っている。
※前連で春のはじめを、後連で春半ばを詠う。


《詞意》
春の用意に舞いの衣に歌扇を買いますが、
春を愛でつつもやはり春の寒さに心痛めます。
すだれを巻いて言葉も無く語る人も無く南の山に向かいます、
春はすでに覚めて緑の葉が濃くなってはいても花の紅はまだ薄いままです。

花を惜しみ心はものういままに、春が過ぎていきます、
清明節には青い草を踏んで川辺をそぞろ歩きします。
野遊びの後まるで飛ぶ鳥が飽きて帰るのを知っているように家に帰りますと、
梨の花の咲く奥庭はゆったりとのどかな春の只中です。


朱23.卜算子 (竹裡一枝斜)

 
 卜算子    朱淑眞

竹裏一枝斜、映帶林逾靜。
雨後清奇畫不成、淺水橫疏影。

吹徹小單于、心事思重省。
拂拂風前度暗香、月色侵花冷。



《和訓》
竹裏一枝斜き、映を帶びて林 逾(いよいよ)静かなり。
雨の後 清奇にして画成らず、浅水に横たはるは疏(まば)らなる影。

吹き徹るは小単于( しょうぜんう )、心事の思ひ重ねて省る。
拂拂たる風前 暗(ひそや)かなる香の度(わた)りて、月の色は花を侵して冷たし。


《語釈》
・竹裏:竹藪の中。裏は中。
唐の王維の「竹里館」「獨坐幽篁裏,彈琴復長嘯。深林人不知,明月來相照。」がある。
・映:光の反射。夕映え。
更に王維の「鹿柴」「空山不見人,但聞人語響。返景入深林,復照青苔上。」が思い浮かぶ。
・逾:いよいよ。いっそう、更に。
・清奇:清新で珍しい。清らかで珍しい。
・畫不成:絵にも描けない美しさ。
・疏影:まばらな影。
・心事:心に思い惑う心配事。
・小單于:ここは風がさわさわと吹き通る様をいう。・小:形や規模が小さい、すこし。・單于:めぐる。善于。
   「聴暁角」(李益)
  邊霜昨夜墮關楡 (辺霜昨夜関楡に堕つ )
  吹角當城片月孤 (吹角 城に当って片月孤なり)
  無限塞鴻飛不度 (無限の塞鴻 飛び度(わた)らず )
  秋風吹入小單于 (秋風吹き入る 小単于(しょうぜんう))
・拂拂:風がそよそよ吹くさま。
・風前:風の当たる所。
・侵:次第に入りこんでかすめる。


《詞意》
竹林の中に竹が一枝斜むいて、夕日の光が差込み、いよいよ林は静かです。
雨のあがった後のあまりの清らかさは絵にもかけないほど、浅く流れる水に日の影がまばらに散っています。

風は心地よくさわさわと吹き過ぎますが、愁いの思ひを更に重ねて振り返っています。
風そよぐ中 ひそやかな香があたりを覆い、月の色は冷たく花に染み入っています。

 

朱22.念奴嬌 二首催雪(その二)

 
 念奴嬌      朱淑眞
  催雪(その二)

鵝毛細翦、是瓊珠密灑、一時堆積。
斜倚東風渾漫漫、頃刻也須盈尺。
玉作樓臺、鉛溶天地、不見遙岑碧。
佳人作戲、碎揉些子拋擲。

爭奈好景難留、風僝雨僽、打碎光凝色。
總有十分輕妙態、誰似舊時憐惜。
擔閣梁吟、寂寥楚舞、笑捏獅兒只。
梅花依舊、歲寒松竹三益。



《和訓》
鵝毛細く翦(き)れ、是れ瓊珠の密に灑(ま)きて、一時に堆積す。
斜めに東風倚りて渾漫漫、頃刻(しばらく)や須(すべから)く尺に盈(み)ちるべし。
玉作の楼台、鉛溶くる天地、遥かなる岑(みね)の碧(みどり)を見ず。
佳人戯れて、碎き揉み些子(いささか)抛擲(なげう)つ。

争奈(いかで)か好景留め難し、風僝(おこ)り雨僽(そぼふ)り、光凝らす色を打ち碎く。
総(すべ)て十分に軽妙の態有り、誰ぞ旧時に似て憐惜せん。
梁(はし)に担閣して吟じ、寂寥たる楚舞、また、獅兒只(しし)を笑ひ捏(こ)ぬ。
梅花旧に依り、歳寒くも松竹は三益なり。


《語釈》
・鵝毛:鵝鳥(がちよう)の羽毛。また、きわめて軽いもののたとえ。ここは雪の比喩。
・翦:剪。きる、たつ。風が寒さを帯びている様。
・瓊珠(けいしゅ):玉。 ・瓊:美しい玉(ぎよく)、たま。赤色の玉。・珠:玉。真珠。
・密:みつに、すき間もないほどにぎっしりと。ひそかに、人に知られないようにこっそりと。
・灑:まく、ばらまく。
・一時:一時に、ある時期に集中して起こるさま。
・堆積:積み重なる。
・斜倚:そっと立っている位置を斜めに移る。
・倚:もたれる、よりかかる。恃(たの)む、頼りとする。
・東風:春風。
・渾:渾然、いくつかのものがとけ合って区別できないさま。入り乱れるさま。自然のままの。
・漫漫:(時間、空間が)果てしなく広がるさま。
・頃刻:しばらくの時間。わずかの間。
・須:…すべきである,…しなければならない。
・盈:満ちる。
・玉:相手の身体・言行を美化する
・樓臺:高殿(たかどの)と台(うてな)。屋根のあるうてな。また、高い建物。
・玉作樓臺:雪積もるうてな。あるいは七宝楼台のことか。それなら、月、嫦娥の居所をいう。
・鉛:なまり。鉛色、鉛のような青みがかった灰色。
・岑:みね。 ・碧:あお、きよし、たま、みどり。
・作戯:ふざける。たわむれる。打ち解ける。くだけた態度をとる。
・碎:くだく、くだける。・揉:もむ、もめる。
・些子:少し、いくらか。
・抛擲:投げる。
・爭奈:どうして…になろうか。いかんせん。いかでか。
・僝:しめす、あらわす。そなえる。ののしる。
・僽:うれうるさま。(そぼふる。)
(・風僝雨僽:苦しみを経験し尽くすことの形容。憔悴する。)
・總:ともあれ。およそ、大体。総じて。
・軽妙:すっきりしていてうまみのある
・憐惜:あわれみおしむ。
・擔閣:担擱。滞在する、留まる。遅れる、長びく。
・梁:はり。橋。
・寂寥:ものさびしいさま。ひっそりしているさま。寂寞(せきばく)。せきりょう。
・楚舞:楚の国の舞。「呉歌楚舞」
・捏:こねる、つくねる。
・獅兒:獅子の子。獅子舞。通常2人で獅子に扮して、別の1人が刺繍入りの絹のまりを持って、獅子の舞踊をからかう。
・只:動物・鳥・虫を数える。
・三益:詩語で「良友」をさす。


《詞意》
雪は細かく冷たく、美しい玉がぎっしりとばらまかれるようにして、瞬く間に降り積もります。
春風はそっと引き下がり冬と春がとけ合って果てしなく広がるよう、しばらくは雪が高く積もるでしょう。
雪が高殿をお作りになり、空も地も鉛色に溶けて、遥かな青い嶺は見えません。
私は戯れに、雪を掬い丸めてちょっと投げ上げてみます。

なんとこの好い景色は留め難いことでしょう、風が吹き雨がそぼふり憔悴するうちに、美しい色の雪は打ち碎かれてしまいます。
ともあれ、それはそれでとてもすっきりしたもの、誰が以前のように憐み惜しむでしょう。
春になれば、橋に留まり詩を吟じ、ものさびしい楚の舞を見、獅子舞に笑いこけます。
梅花は昔のままに咲き、寒くはあっても松も竹も良い友なのです。


《参考》
・樓臺
   「春宵」 蘇東坡
  春宵一刻値千金
  花有清香月有陰
  歌管樓臺聲細細
  鞦韆院落夜沈沈

・楚舞
   楽府「烏棲曲」  李白
  姑蘇臺上烏棲時 (姑蘇の台上、烏棲む時)
  呉王宮裏酔西施 (呉王の宮裏に、西施を酔はしむ)
  呉歌楚舞歓未畢 (呉歌楚舞、歓び未だ畢らず)
  青山欲銜半邊日 (青山銜(ふく)まむと欲す、半辺の日)
  銀箭金壺漏水多 (銀箭金壷、漏水多し)
  起看秋月墜江波 (起って看る、秋月の江波に墜つるを)
  東方漸高奈楽何 (東方漸く高く、楽しみを奈何せん)


朱21.念奴嬌 二首催雪 その一


 念奴嬌     朱淑眞
  二首催雪
  (その一)

冬晴無雪、是天心未肯、化工非拙。
不放玉花飛墮地、留在廣寒宮闕。
雲欲同時、霰將集處、紅日三竿揭。
六花翦就、不知何處施設。

應念隴首寒梅、花開無伴、對景真愁絕。
待出和羹金鼎手、為把玉鹽飄撒。
溝壑皆平、乾坤如畫、更吐冰輪潔。
梁園燕客、夜明不怕燈滅。


この詞はうまく読めない。和訓も詞意も覚束無いままである。


《和訓》
  「雪を催(うなが)す」(きざせる雪)
冬晴れて雪無く、是れ天心未だ肯へんぜずも、化(造化)の工(たく)みにして拙(つたな)きにあらず。
玉花地に飛び墮ちて放たれず、留め在るは広寒宮の闕。
雲の同時に欲するは、霰の将(はた)集まる処なれど、紅日は三竿掲(かか)ぐ。
六花の翦り就くは、何処の施設なるかを知らず。

応に隴首の寒梅を念ひ、花開くも伴ふ無きに、景に対し真に愁絶す。
待ち出づるは和羹の金鼎の手、為(まさ)に玉塩を把りて飄撒せんとす。
溝壑皆平らかに、乾坤画の如くして、更に吐くは冰輪の潔。
梁園の燕客、夜明けて灯の滅するを怕(おそ)れず。


《語釈》
・催:催促する。もよおす。きざす。
・天心:空のまんなか。空の中心。天の心。天子の心。
・化:自然が万物を育てる力。化育。造化。[花]。
・工:技術、技能。…に巧みだ、長じる。上手なさま。巧妙。
・化工:自然の造化。
・玉花:美しい花。雪。
・留在:留め置く。
・広寒宮:月の中にあるという宮殿。月宮殿。広寒府。
・闕:宮門の両わきに築いた台。その上を物見とした。
・霰:あられ。雪と雹(ひよう)との中間の状態のもの。
・將:はた。また。あるいはまた。もしくは。 (ひきいる。ひきつれる。伴う。)
・紅日:真っ赤な太陽。多く朝日をいう。
・三竿:〔竹竿(ざお)三本つなぎあわせた程度の高さの意〕日月が空のかなり高い所にあること。
・揭:掲(かか)げる。高く上げる。かざす。
・六花:〔六弁の花の意から〕雪の異名。りっか。
・翦就:(翦裁と同様に)美しい様をいうか。・翦 きる。はさむ。・就 つく。つける。
・施設:建造物。ほどこし、しつらえる。
・應:当然…すべきだ。
・隴首:丘の上。隴山(甘肅省と陝西省の境の大きな山)のほとり。隴頭。辺境にあるとりでで、蒼茫・悲涼の感情をもたらす。
・真:確かに、本当に。
・愁絕:ひどく愁える。
・和:なごむ。やわらぐ。引き分ける。
・羹:スープ。あつもの。
・鼎:食物を煮るのに用いた金属の器。煮炊き用の器スープ。あつもの。
・為:まさに‥んとす。
・把:握る、手に持つ。
・鹽:塩。
・飄:上よりひるがへり落ちる。
・撒:まく。ばらばらに散るように落とす。
・溝:みぞ。せせらぎ。
・壑:谷間、山あいの池。
・乾坤:天と地、宇宙。
・冰輪:冰=氷。月の異名。冰鏡。北宋の詩人の孔平仲(1044?~?))の詩に「團團冰鏡吐淸輝」(円き月は淸き輝きを吐く)とある。
・吐:はく。ひらく。
・潔:きよい。心が淸廉である。
・梁園:河南省東部、商丘の東にある、漢代に梁の孝王が築いた園。修竹園。
・燕客:宴客。・燕:さかもり。さかもりする。やすむ、くつろぐ。
・怕:恐れる、心配する、案じる。


《詞意》
冬空は晴れていて雪の気配は無いですが、
天の心がまだ雪を降らす気はなくとも、自然の営みが拙いわけではありません。
雪は放たれることなく、月の宮殿の門に留め置かれています。
雲は、また霰を集まめようとしていますが、日は空高く上がっています。
雪が美しくふっているのは、何処のあたりなのでしょう。

ただ隴山のほとりに咲く寒梅を想い、花開いても誰もいない景に対して愁いに心痛めるばかり。
それはまるで、温かなスープの入った器を持つ手が、まさに美味しい塩をぱらぱら撒く時を待ち受けるよう。
せせらぎも池も静まり、あたり一帯はまるで絵のようで、その上月は清らかな光を放っています。
庭にくつろぐ客は、夜明けて灯が消えるのを案ずる気配もありません。


《参考》
隴首について。
  「探春」  戴益(宋・生卒年不詳)
 盡日尋春不見春 尽日春を尋ねて春を見ず
 芒鞋踏遍隴頭雲 芒鞋踏みて遍(あまね)し隴頭の雲
 歸來適過梅花下 帰り来たりて適(たまたま)梅花の下を過ぐ
 春在枝頭已十分 春は枝頭に在りて已に十分なり

梁園について。
  盛唐の詩人、高適(702?-765)の「宋中十首の其一」         
 梁王昔全盛、(梁王 昔 全盛にして)
 賓客復多才。(賓客 復 多才なりき)
 悠悠一千年、(悠悠一千年)
 陳迹惟高臺。(陳迹(なごり)には 惟 高台あるのみ)
 寂寞向秋草、(寂寞として秋草に向かへば)
 悲風千里來。(悲風 千里より来たる)
もう一首。
  「梁園吟」  李白(701-762)
 我浮黃雲去京闕,掛席欲進波連山。
 天長水闊厭遠涉,訪古始及平臺間。
 平臺為客憂思多,對酒遂作梁園歌。
 卻憶蓬池阮公詠,因吟淥水揚洪波。
 洪波浩蕩迷舊國,路遠西歸安可得。
 人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。
 平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。
 玉盤楊梅為君設,吳鹽如花皎白雪。
 持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。
 昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。
 荒城虛照碧山月,古木盡入蒼梧雲。
 梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。
 舞影歌聲散綠池,空餘汴水東流海。
 沉吟此事淚滿衣,黃金買醉未能歸。
 連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。
 歌且謠,意方遠。
 東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晚。


朱20.鵲橋仙 七夕

 
鵲橋仙      朱淑眞
   七夕

巧雲妝晚、西風罷暑、小雨翻空月墜。
牽牛織女幾經秋、尚多少、離腸恨淚。

微涼入袂、幽歡生座、天上人間滿意。
何如暮暮與朝朝、更改卻、年年歲歲。



《和訓》
巧みなる雲の妝(かざ)れる晩、
西風 暑を罷(しりぞ)け、小雨翻り空しく月墜(お)つ。
牽牛織女幾ら秋を経つるや、
尚ほ多少(いかばかり)、離腸の恨みの涙あらむ。

微(かす)かなる涼しさ袂に入り、幽(かそけ)き歓びて生(あ)れ座して、
天上人間に意(こころ)満つ。
何如(いかん)か暮暮と朝朝、更に改たむるや、年年歳歳。


《語釈》
・巧:巧む。技巧をこらす。たくみな技術。
・妝:かざる。化粧する、装う。ここは夕焼けをいう。
・西風:西から吹く風。にしかぜ。秋風。
・罷:まく。しりぞける。
・翻:ひるがえる。高く上がってひらひらと動く。
・空:うつける。寂しい。人のいない。うつろである。
・墜:おちる。ぶら下がる。衰へる。
・牽牛織女:七月七日の七夕(たなばた)に天の川に隔てられた牽牛と織女が年に一度出逢うという伝説。・牽牛:牛飼い。彦星。・織女:織り姫。・七夕:乞巧奠(きっこうてん)
・幾:いくつ。いくら。どんなに。どれほど。
・尚:なお。ますます。よりいっそう。まだ。
・多少:どれくらい、いくつ。どれだけか。
・離腸:甚だしい別離の悲しみ。断腸の思い。
・袂:たもと。袖。
・幽:かそけし。かすかである。淡い。
・生座:生まれわす。おいでになる。来られる。
・天上人間:天上世界と人間世界。
・滿意:みちあふれる。
・何如:どのようであるか、どうか。どうして及ぼうか。なんぞしかん。
・暮暮與朝朝朝:毎夕毎朝。暮も朝もいつもいつも。
・卻:助字として他の動詞の下に添える。
・年年歳歳:毎年毎年。
  劉希夷(651~678)の「代悲白頭翁」に 
  年年歳歳花相似 (年年歳歳花相似たり)
  歳歳年年人不同 (歳歳年年人同じからず)がある。


《詞意》
美しく彩られた雲がたなびく晩です、
秋風が残暑をしりぞけ、小雨が風に舞うなか空しく月は沈んでいきます。
彦星と織り姫はどれほどの逢瀬の秋を過ごしたでしょう、
さらにまたどれほどに、別離の悲しみに涙ながすのでしょう。

風が袂に入ってほんの少し涼しさが増し、淡い歓びが生まれます、
天上世界も人間世界も秋の気配が満ち、想いも満ちてきます。
暮に朝にいつもいつも、いえいえ、毎年毎年繰り返されるこの喜びと悲しみをどうしたらいいのでしょう。 


朱19.菩薩蠻 (濕雲不渡溪橋冷)

 
 菩薩蠻    朱淑眞

濕雲不渡溪橋冷、娥寒初破東風影。
溪下水聲長、一枝和月香。

人憐花似舊、花不知人瘦。
獨自倚闌干、夜深花正寒。



《和訓》
湿雲渡らず溪橋冷たきも、娥寒初めて破れ東風の影あり。
渓下の水声長く、一枝月に和して香る。

人は花の旧に似るを憐れみ、花は人の痩せせたるを知らず。
独り闌干に倚るに、夜深かまりて花正に寒し。


《語釈》
・濕雲:春霞。・濕:ぬれた、湿った。
・溪:渓。谷川、小川。
・娥:美女。美しい。(・嫦娥:月世界に棲むといわれる仙女。月の異名。・娥影:月の異名、嫦娥の影。)
・破:わる、われる。ひらく。
・東風:春、東から吹く風。こち。
・影:存在を暗示するもの。兆候。
・和:なごむ。したしむ。合わせる。調和して一つになる。
・憐:いとおしむ、愛する。賞美する。めでる。惜しむ。
・瘦:痩せる。やつれる。憂愁のために身も心も疲れ果てたさまの比喩。李清照の「醉花陰」に「人比黄花痩(人は黄菊の花よりも痩せたり)」とある。
・獨自:一人で,自分だけで。
・倚:寄る。
・正:ちょうど、正に。動作の進行や状態の持続を表わす。


《詞意》
まだ湿った春霞がたなびくことなく小川にかかる橋は冷たいのですが、
凛とした寒さを破って初めて春風がたつ気配がします。
すると川の下の水音がのどかにひびき、一枝の梅が月に合わせるように香ります。

私は花が昔と同じように咲くのをいとおしんでいますが、
花は私が愁いに疲れ果てているのを知らずげに咲きます。
独り闌干に身を寄せていると、夜の深かまりに花はなんとも寒げです。


《補》
劉希夷(651~678)の「代悲白頭翁」に 
 今年花落顏色改 (今年花落ちて顏色改まり)
 明年花開復誰在 (明年花開きて復た誰か在る)
  ‥
 年年歳歳花相似 (年年歳歳花相似たり)
 歳歳年年人不同 (歳歳年年人同じからず)


人はいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける 紀貫之


朱18.菩薩蠻 木樨


 菩薩蠻      朱淑眞
   木樨

也無梅柳新標格、也無桃李妖嬈色。
一味惱人香、群花爭敢當。

情知天上種、飄落深岩洞。
不管月宮寒、將枝比並看。



《和訓》
  「木犀」
(比ぶるに)梅柳の新しき標格も無く、桃李の妖嬈の色も無し。
一味(ひたすら)人を悩まして香り、群れし花は争ひて敢へて当たれり。

情(まこと)に知るは天上の種、深き岩洞に飄落するを。
月宮の寒きに管(かかは)らず、枝を将(と)りて比並して看る。


《語釈》
・木樨:木犀。モクセイ科の常緑小高木、キンモクセイ・ギンモクセイ・ウスギモクセイの総称。秋なかばに甘い芳香を放つ星のような小さな花を無数に咲かせる。「桂花」。普通にはギンモクセイをさす。中国では「香りの無い花は心の無い花」と、香りのある花が重んじられ、桂花(木犀)のほか、梅、菊、百合、茉莉花(マツリカ・ジャスミン)、水仙、梔子(くちなし)を七香(しちこう)として好んだ。桂(木犀)は月に生えるといわれる木である(日本で言う落葉樹のカツラとは別物)。
・也無~、也無~:~も無く~も無し。・也:重ねて用いて、並列関係を強調する。重ねて用いて、条件のいかんにかかわらず…であることを示す。
・新:生き生きとしている。新鮮だ。
・標格:品格。風采。
・妖嬈(ようじょう):うつくしくなまめかしい。・妖:なまめかしい。人を惑わせる、妖(あや)しい。・嬈:あでやかでなまめかしい。
・一味:向う見ずに、ひたすら、やたら。
・群花:群れ咲く花。
・敢當:強いて立ち向かう。・敢:(しなくてもよいことを)強いてするさま。わざわざ。無理に。・當:手ごわい相手に立ち向かう。
・情知:あきらかにしる。・情:まことに。多く詩に用いる助辞。
・深:奥深い。静かな。人のあまりいない。
・飄落:おちること。風に吹かれてひるがえり落ちる。舞い落ちる。ただよい落ちる。
・岩洞:岩窟。
・天上種、飄落深岩洞:この句は何かの伝説か詩によるとも思うが解からない。月世界でも同じようにモクセイが散っている様か、あるいは月世界に生えるという桂の花(木犀)の種が地上に降る様を詠うか。秦の始皇帝によって名づけられたという「桂林」の奇岩連なる景観が思い浮かんだりするが‥‥。
・不管:かまわない。意に介さない。管(かかは)らず。
・將:…をもって。従う。とる(取)。もつ(持)。
・月宮:月。月宮殿〔げっきゅうでん、がっくうでん、がっくでん。月の中にあるという月天子の宮殿。清浄で美しく月天子が夫人とともに住み、月世界を治めているという〕。月宮。月の都。月の宮。
・比並:対比する。


《詞意》
  「木犀」
モクセイは梅や柳に比べますとみずみずしい気品も無く、桃や李のあでやかな色もありません。
ただただ人を悩ますほどに香り強く、群れ咲く花は争うように咲き満ちています。

まことに月世界でも同じようにモクセイが静かに舞い散っていると知るばかりです。
月は秋の空に寒々と照っていますが、モクセイの枝をとって並べ見て月世界に思いを馳せています。


《参考》
高啓(1336-1374)の「題桂花美人」という七言絶句に 
 桂花庭院月紛紛、(桂花の庭院 月紛紛たり)
 按罷霓裳酒半醺。(霓裳を按(あん)じ罷(や)みて酒半ば醺ず)
 折得一枝攜滿袖、(一枝を折り得て携(たづさ)へれば袖に満ちて)
 羅衣今夜不須熏。(羅衣今夜熏ずるを 須(もち)ゐず)


手をふれて金木犀の夜の匂ひ   中村汀女

 

朱17.菩薩蠻 秋

 
 菩薩蠻     朱淑眞
   秋

秋聲乍起梧桐落、蛩吟唧唧添蕭索。
欹枕背燈眠、月和殘夢圓。

起來鉤翠箔、何處寒砧作。
獨倚小闌干、逼人風露寒。



《和訓》
  「秋」
秋声起きし乍(なが)らに梧桐の落ち、蛩(こおろぎ)喞喞と吟じて蕭索を添ふ。
枕を欹(そばだ)て灯を背にして眠るに、月は和(おだ)やかに夢残して円(まどか)なり。

起き来たって翠箔を鉤(とど)むれば、何処(いずこ)ならむ砧打つ音の寒し。
独り小さき闌干(おばしま)に倚(もた)れしに、人を逼(せ)むるは風と露の寒さなり。


《語釈》
・秋聲:秋の声。秋の近づく気配。
・乍:…したばかり。…したかと思うと急に。
・梧桐:アオギリ。落葉高木。鳳凰は、この木にしか止まらないと言われる。・「梧桐一葉」「梧桐一葉落つ」は、あおぎりの一葉が落ちたことで秋の到来を知ることができるという意から、ものの衰えのきざしの意。また、些細な出来事から、全体の動きを予知することの例えでもある。また、朱熹(1130-1200)の「偶成」に「未だ覚めず池塘春草の夢、階前の梧葉 已に秋声」がある。
・蛩吟:こおろぎが鳴く。・蛩:こおろぎ。蟋蟀 。・吟:歌う。
・唧唧:喞喞(ショクショク)虫や小鳥などの細く小さい声が入り混じった声を表わす。・喞:なくすだく、おおくの小さき声がやかましい。
・蕭索:ものさびしいさま。蕭条。
・欹枕:マクラをそばだてて。マクラを斜めにして。椅子に坐るのではなくて、寝ころんで肩肘を立てているようにしているさま。白居易(772-846)の「香爐峯下新卜山居草堂初成偶題東壁」に「遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聽き、香爐峰の雪は簾を撥(かか)げて 看る」がある。
・和:なごやか。にこやか。おだやか。やわらか。
・殘夢:見残した夢。目覚めてからも、なお心に残る夢。また、明け方近くにうとうとしながら見る夢。
・鉤:簾をとめるかぎ。かぎで引っ掛ける。
・翠箔:翡翠の簾。緑色のカーテン。緑色のカーテンは女性の部屋。
・砧:麻・楮(こうぞ)・葛(くず)などで織った布や絹を槌(つち)で打って柔らかくし、つやを出すのに用いる木または石の台。また、それを打つことや打つ音。
・作:行う、する。
・何處寒砧作:何処から聞こえるのか砧打つ音が寒々しい。
・倚:もたれる、よりかかる。
・闌干:おばしま。廊下や橋などの側辺に、縦横に材木を渡して人の落ちるのを防ぎまた装飾とするもの。てすり。
・逼:追い詰める。迫る。無理矢理…させる、強いる。
・風露:寒い風と、屋外の露。


《詞意》
  「秋」
秋の近づく気配がしたかと思うと急に梧桐の葉が落ち、
こおろぎがり~り~り~とすだいて、ものさびしさを添えています。
枕をそばだて灯を背にして眠ります、
目覚めると月はおだやかにまんまるに照っていて 心にはなお夢が残っているのでした。

起きあがって緑色のカーテンを巻き上げますと、
何処からともなく砧を打つ音が寒々しく聞こえてきます。
独り小さな闌干(おばしま)にもたれますと、
寒い風や露が更に私を攻めたてるのでした。


朱16.菩薩蠻 (山亭水榭秋方半)

 
 菩薩蠻      朱淑眞

山亭水榭秋方半、鳳帷寂寞無人伴。
愁悶一番新、雙蛾只舊顰。

起來臨繡戶、時有疏螢度。
多謝月相憐、今宵不忍圓。



《和訓》
山亭水榭は秋方(あき)半ば、鳳帷の寂寞として人の伴ふ無し。
愁悶は一番新たに、双蛾(まゆ)は只だ旧に顰(ひそ)む。

起き来たって繡戸に臨み、時有りて疏(まれ)に螢の度(わた)る。
月の相ひ憐むを多謝し、今宵の円(まどか)なるに忍びず。


《語釈》
・山亭:山中のあずまや。山荘。
・水榭:水辺のあずまや。水ぎわの亭。・榭:屋根のあるうてな、あずまや。
・秋方:秋。・方 場所・方向・時間を漠然と示す。…のあたり。…の方(ほう)。ころ。
・鳳帷:鳳凰の縫い取りをしている帷(とばり)・鳳:鳳凰(ほうおう) 。 ・帷:垂れ幕。たれぎぬ。とばり。
・寂寞:ひっそりとしてさびしいさま。
・愁悶:うれえ、もだえること。
・一番:最も。この上なく。景色や味わいなどの種類をいう。
・双蛾:美人の眉(まゆ)。
・只:何事もないこと。無事。取り立てるほどのことのないさま。むなしいさま。
・舊:旧。時を経た、古い。時代遅れの。
・顰:ひそむ。顔つきなどがゆがむ。 泣き顔になる。
・起來:起きあがる。
・繡:刺繡(ししゆう)する、縫い込む。・繡戶:縫い取りのあるドア。
・有時:時折。時には。時々。時たま。
・疏:まばらにする、密接でない。
・度:渡る。
・多謝:深く感謝する。ありがとう。
・相憐:憐れみあう。・相:互いに、ともに。・憐:あわれむ。賞美する。めでる。惜しむ。
・不忍:忍びない、がまんならない。たえられない。見ていられない。
・圓:まるくて欠けたところのないさま。


《詞意》
山辺水辺の東屋ははやくも秋半ばとなりました、
おおとりの縫い取りのあるカーテンの内はひっそりとして誰もいません。
独り憂え悶えてこの上なくその想いを新たにして、
美しく描いた眉をむなしく昔の想いにひそませています。

起きあがり縫い取りのあるドアをあけ、その傍らで
時折まばらに螢が飛びわたるのを見ています。
月がともに憐れんでくれるのに深く感謝しますが、
今宵の月はあまりに円く明く、見てはいられません(悲愁にたえられません)。

 

朱15.蝶戀花 送春

 
 蝶戀花     朱淑眞
  送春

樓外垂楊千萬縷、
欲系青春、少住春還去。
猶自風前飄柳絮、隨春且看歸何處。

綠滿山川聞杜宇。
便做無情、莫也愁人苦。
把酒送春春不語、黃昏卻下瀟瀟雨。


《和訓》
  「春を送る」
楼外の垂楊は千万の縷をたれ、
青春(はる)を系せんと欲し、少(いささ)か春の還へり去るを住(とど)めん。
猶自(なほ)風前に柳絮を飄(ひるがへ)すも、春に隨ひ且(しば)し何処へ帰るかを看ん。

緑山川に満ち杜宇を聞く。
便做(たと)ひ無情なるも、なほ愁人の苦しむ莫れ。
酒を把りて春を送るに春は語らず、黄昏に却って下(ふ)るは瀟瀟たる雨。


《語釈》
・送春:春を送る。過ぎゆく人生の春を見送る。
・垂楊:「垂柳(すいりゆう)」に同じ。シダレヤナギ。
・縷:糸。柳の細い枝。
・欲系:繋ごうとして。春を繋ぎ止めようとして。・系:繋(つな)ぐ、結ぶ。
・青春:季節を示す「青春、朱夏、白秋、玄冬」のはる。青年時代。
・少:少し。僅か。
・住:留まる。
・還去:さらに行く。やはり過ぎていく。
・猶自:いまだに。よりいっそう。…でさえ、なおかつ。
・風前:風の前。風のあたる所。風前之燭で人生のはかなさをいう。
・飄:ひるがえる。ひらひらと吹かれて飛ぶ。柳絮が飛ぶこと。
・柳絮:柳の綿毛。
・隨春:春に従う。春と一緒になって。
・且看:しばし見る。暫く見る。
・歸何處:どこへ戻っていくのか。
・杜宇:ホトトギス。
・便做:たとえ…でも。よしんば…しても。
・無常:思いやりに欠けること。
・便:すでにもう、早くも。まさしく、ほかでもない。
・做: …になる、担当する。装う。
・莫:なかれ。・也:判断を示す助詞。
・把酒:酒を持つ。酒杯を取る。
・黄昏:たそがれ。
・卻:かえって。意に反して。
・下雨:雨が降る。降雨。
・瀟瀟:雨が寂しく降るさま。しとしとと。


《詞意》
街には薄緑に染まった枝垂れ柳の枝が繁り続いています。
春(吾が青春)をつなぎ止めようと願い、ほんの少し春が過ぎ行くのを留めたいと思います。
春風にはかなく柳絮が吹かれ飛んでいますが、春とともに暫くは何処へ帰っていくのか見ていましょう。

山河には新緑が満ち溢れ、不如帰(ホトトギス)の声が聞こえます。
その鳴き声がたとえ思いやりに欠けるとしても、春を愁うる人が苦しむことはありませんでしょう。
過ぎゆく春を見送り惜別の杯を持ちますが、春は何も語ってくれず、ただ黙って過ぎ去っていくのを見送るばかりです。
たそがれ時になるや思いがけず、雨がしとしとと寂しげに降り出しています。

 

朱14.點降唇 (風勁雲濃)

 
 點降唇     朱淑眞

風勁雲濃、暮寒無奈侵羅幕。
髻鬟斜掠、呵手梅妝薄。

少飲清歡、銀燭花頻落。
恁蕭索。
春工已覺、點破香梅萼。



《和訓》
風勁(つよ)く雲濃く、暮るるに寒くして羅幕を侵すをいかんせん。
髻鬟(もとどり)の斜めに掠(かす)め、手を呵(しか)りて梅妝の薄し。

少(いささ)か飲みて清(さや)に歓べば、銀燭の花頻(しき)りに落とせり。
恁(なん)と蕭索たり。
春の工(たくみ)已に覚め、香梅の萼(がく)を点破せん。


《語釈》
・勁:力強い、頑強な。
・無奈:=無可奈何。いかんせん。どうしようもない。いかんともするなし。
・羅幕(らまく):薄絹のカーテン。 ・羅:絽(ろ)、うす絹。・幕:カーテン。
・侵:侵(おか)す、侵入する。
・斜掠:髪を斜めに掻きあげる。・斜:ななめ。かたむく。・掠:かする、すれちがう。かすめとる。
・髻鬟(けいかん):もとどり。女性が頭上に束ねた髪。髪型。もとどりとみずら。まるく結い束ねたまげ髪。
・呵手:手に息を吹き掛ける。
・梅妝:梅花粧。梅の花びらをかたどった化粧。・薄:薄化粧する。
・清:静まり返った、静寂の。
・歡:喜ぶ、楽しむ。
・銀燭:白いロウソク。精製された蝋によって作られた明かり。
・燭花:蝋燭(ろうそく)の焔。灯火の芯(ろうそくなどの中央にある火をつける糸)。
・頻:しきりに、頻繁に。
・落:燭花(芯)を切り落とす。「燭花頻剪欲三更」と同趣。《補》参照。
・恁:おもふ。かくのごとし。そんなに、あんなに。どのよう。いかよう。
・蕭索:ものさびしいさま。蕭条。
・工:美しいものを作り出すわざ。「自然の―」「造化の―」の用例。意匠。趣向。
・点破:点じ破る。蕾を開く。
・萼:花のがく。


《詞意》
風が強く雲が濃くたれ、どうにも日暮れの寒さが薄絹のカーテンから染みいります。
髷の乱れた髪をかきあげ、手に息を吹きかけて軽くお化粧に手を入れます。

少しばかりお酒を飲み独り静かに楽しんで、銀の燭火の芯をしきりに切り落としています。
なんと静かで淋しいことでしょう。
春の工夫ははや覚めて、香り高く梅の蕾を開かせているでしょうか。


《補》
朱淑真の詩
 「秋夜」
 夜久無眠秋気清 (夜久うして眠るなく秋気清し
 燭花頻剪欲三更 (燭花頻に剪りて三更ならんと欲す
 鋪床涼満梧桐月 (鋪床に涼満ちて梧桐の月あり
 月在梧桐欠処明 (月は梧桐の欠けたる処に在りて明かなり

秋の夜長に眠れぬままにいますと、秋の気配がすがすがしく、
灯火の芯をしきりに切っているうちに、真夜中になってしまいました。
ベットには梧桐にかかる月のもと涼気がみなぎっています。
月が葉の隙間にみえて、いっそう明るく照らしています。

 

朱13.點絳唇 (黃鳥嚶嚶)

 
 點絳唇     朱淑眞

黃鳥嚶嚶、曉來卻聽丁丁木。
芳心已逐、淚眼傾珠斛。     

見自無心、更調離情曲。      心(一作聊)
鴛帷獨。
望休窮目、回首溪山綠。



《和訓》
黄鳥嚶嚶と鳴き、暁来却(かへ)って丁丁木を聞く。
芳心已(すで)に逐ひ、涙眼珠斛を傾くる。

見るは無心にして、更に離情の曲を調(しら)む。
鴛の帷に独りなり。
窮むる目を休ませて望むに、首を回らせば渓も山も緑なり。


《語釈》
・黄鳥:ウグイスの異名。
・嚶嚶:鳥が互いに鳴きあうさま。鳥の鳴き声の擬声語。友を求める声。
・曉:夜明け。・曉來:明け方になって。
・卻:逆接の関係を示す。かえって。(予想などとは)反対に。逆に。
・丁丁木:木を切る音木を打つ音などが響きわたるさま。
・(補)『詩經・小雅』の「伐木丁丁、鳥鳴嚶嚶。」は「鳥の友を求むるを以て、人の友無かる可からざるに喩う。人能く朋友の好を篤くすれば、則ち神の之を聽いて、終に和らぎ且つ平らかならん。」とつづく。
・芳心:芳志。気持ちを敬っていう語。美しいたましい。
・已:早くも。すっかり。終わる。
・逐:追う。捕らえるために急いで行く。せき立てて先へ進ませる。
・涙眼:涙にぬれた目。
・斛:枡(ます)。・珠斛:玉盃(たまのさかずき)。
・無心:心が何にもとらわれていないこと。・見自無心:無心に見る。何の気なしに見る。
・更:いっそう。あらためて。それに加えて。
・調:しらむ。演奏する。
・離情:別離の情。
・鴛帷:麗しいとばりの垂れた婦人の部屋。
・鴛:鴛鴦(えんおう)=オシドリは雌雄相親みて離れず、故に夫婦の和睦するに喩える。
・帷:室内に垂れ下げて隔てとする布。たれぬの。たれぎぬ。とばり。婦人の部屋。
・獨:その人しかいないこと。相手や仲間がいないこと。
・窮:極限に達する。徹底的に、とことん ・窮目 じっと見る。
・溪山:谷と山と。隠棲の地。隠棲することの暗示?。

《詞意》
鶯が嚶嚶と鳴き交わし、明け方になると丁丁と木を打つ音が響ききこえます。
心は早くもせき立て、寂しく涙で潤む目で珠の斛(ます)の酒を傾けています。

春の過ぎ行くのを無心に見、こと新しく離情(わかれ)の曲を演奏してみます。
麗しいとばりの垂れた部屋には私ただ独り。
じっと見るのはやめにして外に目をやりますと渓も山も緑に染まっているのです。 

 

朱12.清平樂 (風光緊急)

 
 清平樂     朱淑眞

風光緊急、三月俄三十。
擬欲留連計無及、綠野煙愁露泣。

倩誰寄語春宵、城頭畫鼓輕敲。
繾綣臨歧囑付、來年早到梅梢。



《和訓》
風光の緊急にして、三月も俄(にはか)に三十なり。
擬として留めんと欲すも連なり計りて及ぶ無く、緑の野に煙愁ひて露の泣く。

倩(うるはし)く誰れに寄りて春宵を語らん、城頭の画鼓 軽く敲く。
繾綣として歧(わかれ)に臨み嘱付す、来年早く梅の梢の到らんを。


《語釈》
・風光:自然の美しいながめ。景色。
・緊急:絃をきびしく張る。せまる、急ぐ。きびしい。せわしくすぎる。
・俄:にわかに。すぐさま。急に。
・三月三十日:陰暦の春最後の日。翌四月一日は、陰暦では夏。
・擬:欲する、爲さんとする勢を示す。なぞらえる。比べる。
・連計:次々に連なり数えられる。
・無及:追いつくことがない。
・倩:うるはしい、みづみづしい。口もとあいらしい。代わってやってもらう。やとう。
・城頭:城壁上。また、城壁のあたり。
・畫鼓:絵の鼓。
・敲:叩いて音を出す
・繾綣:ねんごろに。反覆する。人情厚くしてつきまとふ。
・歧:分かれ道。ふたまたみち。
・囑:言い付ける、頼む。望みをかける。


《詞意》
春の美しい時はせわしく過ぎて、三月もはやくも末になり、春が終わります。
この春を留めようと想っても、時は連なって追いつくことがなく、靄が愁い深く漂い露が泣くように置かれて野は夏の気配の緑を濃くしていくのです。

口もとあいらしく誰れに寄って春宵を語りましょう、城に出で絵に描いた鼓を軽く敲いてみます。
そして、懇ろに別れに際し望みをかけます、来年早く梅の梢に春が来ますようにと。 

 

朱11.清平樂 夏日游湖

 
 清平樂      朱淑眞
  夏日游湖

惱煙撩露、留我須臾住。
攜手藕花湖上路、一霎黃梅細雨。

嬌痴不怕人猜、和衣睡倒人懷。
最是分攜時候、歸來懶傍妝台。


(“和衣睡倒人懷”を“隨群暫遣愁懷”とする本もある)


《和訓》
  夏日湖に游ぶ
悩ます煙 撩せる露、我に留まりて須臾(しばし)住めり。
手を攜(つな)ぐ藕花湖上の路に、一霎(しばらく)は黄梅の細雨。

嬌痴にして人の猜を怕れず、衣に和して人の懐に睡倒す。
最も是れ分攜(わかれ)の時候(とき)、帰り来り懶(ものう)く妝台に傍(そ)へり。


《語釈》
・湖:西湖であろうか。
・惱:なやます。苦慮する。うらむ、恨みわずらう。
・煙:けむり。かすみ、もやの類。
・撩:おさめる。なぶる、からかう。かすめとる。置く。
・須臾:少しの間。しばし。
・攜:携。手を取る、手をつなぐ。
・藕:蓮。はちす。
・霎:極めて短い時間。霎時。ほんの少しの間。こさめ(小雨)。
・黃梅雨:梅の実が黄熟する頃に降る雨。梅雨。つゆ。
・嬌痴:嬌癡。あいぐるしくて未だ情事を解さない。
・怕:恐れる、怖がる。心配する、案じる。
・人:ここは特定の関係にある人。恋人。
・猜:猜疑(さいぎ)心をいだく、疑う。
・和:…もろとも、…ごと。[~衣]服を着たまま。
・最是:もっとも。そうはいうものの。
・分攜:分携。わかれはなれる。手を握って別れる。
・懶:ものうし。ものぐさし。にくむ、きらふ。
・傍:よる、よりそふ。近づく。添う。
・妝台:化粧台。嫁入り道具。


《詞意》
  夏の日に湖に游ぶ
漂う靄と結ぶ露が、しばらくは私の周りに留まるかのよう。
私たちは手をつないで蓮の花の美しく咲く湖にでて、しばらくはつゆの細い雨の中にいました。

かわいくも痴れてその方の疑わしい目も恐れず、衣のままその方の胸に倒れ眠りました。
それでもそれがわかれのときでした。帰って来て私はものうく化粧台に寄り添い物思いにふけっています。 

 

朱10.鷓鴣天 (獨倚闌干晝日長)


 鷓鴣天      朱淑眞

獨倚闌干晝日長、紛紛蜂蝶斗輕狂。
一天飛絮東風惡、滿路桃花春水香。

當此際、意偏長、萋萋芳草傍池塘。
千鐘尚欲偕春醉、幸有荼蘼與海棠。



《和訓》
独り欄干に倚りて昼日長く、紛紛たる蜂と蝶は斗(たちまち)に軽く狂へり。
一天に絮を飛ばして東風の悪しく、路に桃花の満ちて春の水香る。

此の際に当たり、意(こころ)偏(ひとへ)に長く、萋萋たる芳草傍(かたへ)には池塘あり。
千鐘の尚ほ偕(とも)に春に酔はんと欲せば、幸ひに荼蘼と海棠も有り。



《語釈》
・紛紛:入りまじって乱れるさま。
・斗:たちまち(忽)に。
・輕狂:さわぐ。落ち着きがない。
・一天:空一面。満天。
・絮:草木の種子についているわた毛。
・飛絮:飛んでくる柳の綿毛。飛ぶ柳絮。春の一時期の象徴。
・東風:春風。
・滿路桃花春水香:王維(699-759)の「桃源行」に「春來遍是桃花水、不辨仙源何處尋」の句がある。「春来つては遍く是れ桃花の水、仙源を弁(わきま)へず何れの処か尋ねむ(春が来るとどの流れも桃の花びらを浮かべて流れる。これでは桃源郷を辿ろうにもどの流れをさかのぼればよいのだろう)」
・偏:一方に寄る。かたよる。ただそれだけで他のものがないさま。
・長:気持ちなどがのどかでのんびりしているさま。
・萋萋:草ぼうぼうの、生い茂った。
・芳草:萌(も)え出たばかりの、香るばかりの若草。
・池塘:池のつつみ。後日になるが朱熹(1130年-1200年)の「偶成詩」に「未覺池塘春草夢」の句がある。
・千鐘:大量。大量の酒。「蓋聞、千鐘百觚、尭舜之飲也。唯酒無量、仲尼之能也」(抱朴子)
・尚:ますます。よりいっそう。
・偕:一緒に、共に。
・幸:幸いに、幸運にも。
・荼蘼:バラ科の落葉低木。花は白色、香気。
・海棠:バラ科の落葉低木。紅色の五弁花。


《詞意》
春の日永にひとり欄干に身をよせていると、蜂と蝶が落ち着きなく入り混じって飛んでいる。
空一面に柳の綿毛を飛ばして春風は激しく吹き、路には桃の花びらが散り満ちて春の川も香っている。

この春の只中にあって、こころはただのどかで、生い茂った若草のかたわらには春の池がひろがる。
充分な酒にますます一緒に春に酔おうと思うと、好いことに荼蘼と海棠も咲いている。 

 

朱9.眼兒媚 (遲遲春日弄輕柔)


  眼兒媚     朱淑眞

遲遲春日弄輕柔、花徑暗香流。
清明過了、不堪回首、雲鎖朱樓。

午窗睡起鶯聲巧、何處喚春愁。
綠楊影裡、海棠亭畔、紅杏梢頭。



《和訓》
遅々たる春日軽柔を弄び、花の径に暗に香の流る。
清明過ぎ了へ、首を回らすに堪えず、雲の朱楼を鎖せり。

午の窓は睡(ねむり)より起き 鶯の声巧みなり、何れの処より春の愁いの喚ばふや。
そは緑楊の影の裡(うち)、海棠の亭の畔(ほとり)、紅き杏の梢の頭(さき)。


《語釈》
・遲遲:春日が長くのどかなさま。
・弄:もてあそぶ。思うままにあやつる。弄(ろう)する。
・輕柔:春風が軽く柔らかに吹くさま。
・徑:小道
・暗:あんに。ひそかな(に)、ぼんやりした。かかすかにかくれる。
・清明:清明節。二十四節気の一、新暦4月4〜6日ころ。
・了:動作あるいは変化がすでに完了したことをしめす助詞。
・不堪:堪えられない。春の愁いに堪えられないが、振り返らずにはいられない。
・回首:こうべをめぐらす。ふりかえる、思い起こす、回想する。
・鎖:とざす。外部から切り離す。
・朱樓:朱塗りの楼台。(女官の部屋。)
・喚:よばう。呼びつづける。
・綠楊:新緑の柳。
・海棠:バラ科の落葉低木。海棠の花は美人のなまめかしさにたとえられる。
・亭:庭に設けた、眺望や休息のための小形の建物。あずまや。
・梢頭:こずえの先端。


《詞意》
春の日はのどかに、春風が軽く柔らかに吹いて、花の小道にほのかに香が流れます。
清明節も過ぎましたが、春の愁いに堪えず、雲に朱楼は閉ざされたまま。

遅くねむりよりさめると ひるの窓には 鶯の声が心地よく響いています、一体どこから春の愁いを呼び続けているのでしょう。
それは薄緑に染まる柳の陰から、海棠の咲くあずまやの横から、それとも紅い杏の花を付ける梢の先あたりからでしょうか。

 

朱8.減字木蘭花 春怨


 減字木蘭花     朱淑眞
  春怨

獨行獨坐、獨唱獨酬還獨臥。
佇立傷神,無奈輕寒著摸人。

此情誰見、淚洗殘妝無一半。
愁病相仍,剔盡寒燈夢不成。


《和訓》

独り行き独り坐り、独り唱い独り酬(の)み還(また)独り臥す。
佇み立てば神(こころ)傷み、軽ろき寒さも著(しる)く人を摸(なづ)るを無奈(いかん)せん。

此の情(こころ)誰ぞ見む、涙の残妝を洗ひて一半も無し。
愁病相仍(よ)り、剔(えぐ)り尽くして寒灯に夢も成さず。


《語釈》
・獨:独(ひと)りだけで…する。
・酬:酒を酌み交わす、互いに献盃する。
・佇立:しばらくの間立ち止まっている。「佇」はたたずむ。
・神:心、精神。
・無奈:いかんせん。どうしようもない。=無可奈何。
・著:しるし。顕著な。きわだっている。
・摸:触る、なでる。 手さぐりする。
・妝:化粧。
・一半:半分。
・愁病:うれいのやまい。愁病(うれいやまい)。
・仍:やはり、依然として。そういうわけで。それゆえ。従って。
・剔:灯心を引き出して燈火を明るくすること。えぐる(人の心に激しい苦痛・動揺などを与える)、ほじる、そぎ取る。
・寒燈:さびしげな灯火。寒い冬の夜のともしび。心情を反映した語。高適(唐代の詩人)の「除夜作」に「旅館寒燈獨不眠」の句がある。


《詞意》

私は行住坐臥唯独り、唱うのも呑むのもまた寝るのも唯独りです。
佇み立てばこころ傷み、少しの寒さも私を包んでどうしようもありません。

この思いを誰が知るでしょう、涙が化粧の半分を洗い流しています。
愁いによる病は相変わらずで、灯心を引き出し、悲しみをえぐり尽くして寒灯のもとに夢見ることもありません。


朱7.江城子 賞春


 江城子      朱淑眞
   賞春

斜風細雨作春寒。
對尊前、憶前歡、曾把梨花、寂寞淚闌干。
芳草斷煙南浦路、和別淚、看青山。

昨宵結得夢夤緣。
水雲間、俏無言、爭奈醒來、愁恨又依然。
展轉衾裯空懊惱、天易見、見伊難。



《和訓》
  春を賞(め)でて
斜めの風に細き雨ふり 春寒を作(な)す。
尊前に対し、前の歓を憶ふ、曾(かつ)て梨花を把りしに、寂寞として涙闌干たり。
芳草断煙南浦の路、別れの涙に和して、青山を看る。

昨宵 結び得たるは夤(ふか)き縁(えにし)の夢。
水雲の間、俏として言無く、爭奈(いかん)せん 醒め来たり、愁恨又依然たり。
衾裯に展轉として空しく懊悩し、天の見るは易く、伊(かれ)に見ゆるは難し。



《語釈》
・春寒:春の寒さ。余寒。
・作:…とする、…にする。起きる、起こす。催す。
・對尊前:酒盃を前にして。飲むとき。・尊前:酒樽(さかだる)の前。樽前。
・憶:思い出す。
・闌干:涙などがぽたぽたと多量に滴り落ちるさま。 長恨歌の一節に「玉容寂寞涙闌干、梨花一枝春帶雨」がある。
・芳草:春の草。
・斷煙:ちぎれちぎれに立つ煙。靄。
・和: ‥ながらに。‥とともに。
・南浦、青山:地名ではなく、しみじみ心に沁みる自然の姿であろう。
・夤:敬い恐れる。深い。・縁:えにし。つながり。特に、男女の間のえん。
・水雲間:水と雲の間。天地の間。
・悄:ひそやか。静まりかえった、音のない。 物悲しい、憂うつな。
・爭奈:いかんせん。
・依然:前と変わらないさま。もとのとおりであるさま。
・衾裯:布団。布団とかけ布。・衾:ふとん。・裯:ベットのおおい。
・展轉:展転、寝返りを打つ。
・懊惱:悩みもだえる。 憂え悶える。憂える。
・天:空。季節。気候。
・易:たやすい、平易な。
・見:会う。 
・伊:彼、彼女。


《詞意》
  「春をいとおしむ」
斜めの風に細い雨がまじり 春の寒さを増しています。
盃を前にして、昔二人で梨の花を把って楽しかったを思い出し、
ひとりひっそりさびくしていると涙がぽたぽたと滴り落ちます。
春の草とちぎれる雲の南浦の路に、別れの涙ともに、青山を看ます。

昨日の宵 二人の深い契りの夢を見ました。
目覚めると、この世界は、ひそやかに静まりかえって、前と変わることなく、愁いに満ちていました。
ベットで寝返りを打って虚しく憂え悶えています。春の空を見るはたやすいのに、夫に会うことのなんと難しことでしょう。


朱6.謁金門 春半

 
 謁金門      朱淑眞
  春半

春已半、觸目此情無限。
十二闌干閒倚遍、愁來天不管。

好是風和日暖、輸與鶯鶯燕燕。
滿院落花簾不卷、斷腸芳草遠。



《和訓》
春は已に半ば、目に触るる此の情限り無し。
十二の闌干に閒として倚り遍(あまね)くも、
愁ひ来りて 天は管(かかは)らず。

好ろしきは是れ風和やかに日暖かく、鶯鶯燕燕に輸与す。
満院に花落ちて簾卷かず、芳草の遠かるを断腸す。


《語釈》
・春半:春の半ば。仲春。
・觸目:目に触れる物すべて。
・十二闌干:曲がりくねった欄干。九曲の欄干。
・欄干:てすり。高殿の窓辺に寄り添っている。
・閒:安。あいだ、すきま。やすんず、しづか、ゆるやか。へだたり。
・倚遍:じっくりと寄りかかると。高殿の手すりに寄りかかって、遙か彼方を眺めやりながら物思いに耽るさま。・遍:満、完。
・愁來:愁いが起こってきた。「來」は、動詞の後に附く趨勢を表す補助動詞。
・不管:かまわない。意に介さない。
・輸:送る。移す。致す。引き渡す。ゆずる。まける。 
・輸與:譲り与える。負ける。
・滿院:庭一杯。庭一面。「院」中庭。周りに建物がある庭。
・落花:花びらが散っている。落花(の跡)。
・斷腸:腸が断たれるほどに辛い。春が過ぎ素晴らしい気節が過ぎ去る辛さ。
・芳草:春の草。詞では女性を指す場合もある。


《詞意》
春はすでに半ばを過ぎ、目に触れる情景は限りなく趣き深いのです。
幾重にも曲がる欄干のもとに ゆるらかに寄りかかって思いにふけりますと、
愁いが起こってきましたが、天はそんな愁いを意に介しません。

春風は和やかで日差しは暖かく、訪れる鶯や燕たちを包み込んでいます。
庭の一面には花びらが散り敷いていて 簾は巻かれることなく、
春の過ぎ行く辛さを感じるばかりです。


《補》
李煜(りいく)(937年~978年)の詞に同種のものがある。これを踏まえた詞であろう。
  清平楽
      李煜
 別來春半、
 觸目愁腸斷。
 砌下落梅如雪亂、
 拂了一身還滿。

 雁來音信無凭。
 路遙歸夢難成。
 離恨恰似春草、
 更行更遠還生。


朱5.生査子 (年年玉鏡台)

 
 生查子   朱淑眞

年年玉鏡台、梅蕊宮妝困。
今歲未還家、怕見江南信。

酒從別後疏、淚向愁中盡。
遙想楚雲深、人遠天涯近。



《和訓》
年年の玉の鏡台、梅蕊に宮妝の困(こう)ず。
今歳未だ家に還らず、怕れ見るは江南の信。

酒は別れし従(よ)り後は疏(まれ)にして、涙は愁ひに向ふ中に尽くせり。
遥かに想ふ楚雲の深きを、人は遠くして天涯の近からむ。


《語釈》
・年年:毎年。年毎に。年がたつにつれて。
・玉鏡台:玉の鏡台。玉は美称。
・梅蕊:梅のしべ。
・宮妝:宮廷化粧。妝=粧。
・困:こうずる。どうしてよいかわからず悩む。疲れる。苦しめる。窮する。
・怕:心配する、案じる。怖がる。
・江南:中国の淮河以南の主として長江中・下流域を指す。
・疏:まれである。遠ざかる。おそい。おろそか。遠い。うとい。まばらである。
・楚雲:長江中流域、湖北、湖南一帯の雲。洞庭湖周辺。戦国七雄の一つとしての楚の国がある。
・天涯:空の涯(はて)。極めて遠いところ。天のきわ。


《詞意》
年がたつにつれて玉の鏡台に向かうと、梅の咲き出す頃どう化粧すべきか悩むことです。
今年夫はまだ家に還ってきません、案じ見るのは江南からの夫の便り。

お酒を呑むことは別れてから後はまれになり、涙は愁ひに向ふ中で尽きてしまいました。
遥かに楚雲の深い景を偲びます、夫は遥か遠くむしろ天の涯(きわ)に近かいのでしょう。


朱4.生查子 (寒食不多時)

 
 生查子   朱淑眞

寒食不多時、幾日東風惡。
無緒倦尋芳、閒卻秋千索。

玉減翠裙交、病怯羅衣薄。
不忍卷簾看、寂寞梨花落。



《和訓》
寒食は多からぬ時、幾日か東風の悪(にく)し。
緒無く芳を尋ぬるに倦む、閒なるは卻って秋千の索。

玉減じて翠裙交り、病み怯(ひる)みて羅衣の薄し。
簾を巻きて看るには忍びず、寂寞として梨花の落つるを。


《語釈》
・寒食:冷食。かんしょく。冬至の翌日からかぞえて百五日目は風雨が激しいとして、昔、中国でこの日には火を断って煮たきしない物を食べた風習があった。その日が「寒食節」。旧暦三月三日。翌日は春分から15日後の「清明節」。
・不多時:もうすぐ。長い間でない。
・東風:春風。
・惡:(気分・心理状態について)不快だ。不機嫌だ。苦しい。気に入らない。(自然的状況について)荒れている。
・無緒:情緒が無い。趣がない。
・倦尋芳:詞牌の一。
・倦:同じ状態が長く続いていやになる。あきる。うむ。
・芳:春。 
・閒:安(忙の反)。(部屋,機械などが)空いている、使われていない。しづか、ひま。
・卻:助字として他の動詞の下に添へる。かへりて、反対に。
・秋千索:ブランコ(秋千=鞦韆)の紐。(思考が)おなじ所を行ったり来たりしているさまの表現。
・玉:美しい石。宝石。硬玉・軟玉の類、翡翠(ひすい)・碧玉(へきぎょく)など。
・減:へる、へらす。かろし、すくなし、うすし。
・翠裙:着物のみどり色のすそ。
・交:いりみだれる。
・病:憂い、くるしみ。
・怯:いくじがない。臆病である。臆病な、おずおずした。恐れて気力が弱まる。気持ちがくじける。
・羅衣:うすもので仕立てた衣服。うすぎぬ。
・不忍:たえられない。忍ぶことができない。
・寂寞:ひっそりしていてさびしいこと。


《詞意》
寒食節はもうまもなくで、ここ幾日か春風が吹き荒れています。
心動くことなく春を尋ねるのにも飽き、中庭のブランコの紐も使われることがありません。

宝石も着けずみどりの着物のすそを乱し、春のうすぎぬを着ても憂いに気持ちがくじけてしまい、
寂しく梨の花が散るのを簾を巻きあげて看るのにはたえられません。


朱3.生查子 元夕

 
 生查子   朱淑眞
  元夕

去年元夜時,花市燈如晝。
月上柳梢頭,人約黃昏後。

今年元夜時,月與燈依舊。
不見去年人,淚濕春衫袖。


《和訓》
去年 元夜の時
花市の灯は昼の如くなりき。
月は柳の梢頭に上(のぼ)り
人は黄昏(たそがれ)の後を約せり。

今年 元夜の時
月と灯は旧じ依れど
去年の人見えずして
涙の春衫の袖を湿(ぬら)せり。


《語釈》
・元夜:元宵節の夜。旧暦正月十五日の夜で、その年の最初の満月の夜。灯会、看灯の催しが行われる。その年の最初の日の出である元旦に対応する。
・花市:春になって、花を売買するために立ついち。
・燈如畫:多くの提灯のあかりで昼のようであるさま。
・月上:月が…にのぼる。
・梢頭:こずえ。 ・頭:名詞の後に附く接尾辞。…の上。
・約:時間を決めて会う約束をする。
・黄昏:たそがれ。
・與:…と。
・依舊:むかしのままである。月と灯火は、去年と変わらないということ。
・不見:逢わない。出会えない。
・去年人:去年ともに逢い、語り合った、異性。
・涙濕:涙は…をうるおしている。
・春衫:新春の衣裳。


《詞意》
去年の元宵節の夜には、
花の市は灯篭で昼のように明るかった。
月は柳の梢にのぼり、
あの人はたそがれの後の出逢いを約束しました。

今年の元宵節の夜は、
月と灯火は、去年と変わることがないのに、
去年出逢った人には会えなくて、
悲しみの涙が春着の袖をしとどに濡らしています。


《補》
(この詞は一説に欧陽修作とする。)

朱淑真の七言律詩に
「元夜」という詩がある。
火燭銀花觸目紅,揭天吹鼓斗春風。
新歡入手愁忙裡,舊事驚心憶夢中。
但願暫成人繾綣,不妨常任月朦朧。
賞燈那待工夫醉,未必明年此會同。

 

朱2.浣溪沙 清明


 浣溪沙   朱淑眞
  清明

春巷夭桃吐絳英,春衣初試薄羅輕。
風和煙暖燕巢成。

小院湘簾閒不卷,曲房朱戶悶長扃。
惱人光景又清明。



《和訓》
春の巷に夭たる桃の絳英を吐くに、
春の衣を初めて試みしに薄羅の軽ろき。
風和やかに煙り暖るくして燕の巣成る。

小院の湘簾閒として卷かず、
曲房の朱戸悶として長く扃(とざ)せり。
悩める人の光景又も清明なり。


《語釈》
・清明:清明節。二十四節気の一。三月節気。新暦4月4〜6日ころに当たり、この日人々は墓参りをする。万物清く陽気になる時期という意。
・春巷:春の路地、横町。春のまちなか。
・夭桃:美しく咲いた桃の花。若く美しい女性の形容。
・絳英:濃い赤、深紅(しんく)のはなびら。
・薄羅:薄く織った織物。薄く、透けて見えるような布地。うすもの。羅。薄絹(うすぎぬ)で仕立てた着物。
・煙: かすみ、もやの類。
・小院:小さな奥庭。
・湘簾:竹製の簾。
・曲房:曲がりくねった女房(女官)のへや。
・朱戸:朱漆で塗った大門。天子が使用する朱ぬりの戸をいうが、ここは奥庭の朱の戸。
・閒:安なり、忙の反。
・悶:(部屋に)閉じこもる。気がふさぐ、くさくさする。
・扃:門を閉ざす。
・光景: 生活状態。


《詞意》
春の街に若々しい桃が赤いはなびらを美しく咲かせて、
今年初めて試みに春の衣を着てみますが、そのうすもののなんと軽るいこと。
風が和やかに吹き、春霞が暖かくたなびく中、燕が巣を造っています。

小さな奥庭の竹の簾はひっそりと下がったまま卷かれることも無く、
奥の部屋の朱い戸も部屋に閉じこもったままなので長く閉ざされています。
陽気になる時期というのに、悩み続ける私の生活は変わることなく、今年も又清明節を迎えています。


2021年5月4日火曜日

朱1.憶秦娥 正月初六日夜月

 
 憶秦娥   朱淑眞
  正月初六日夜月

彎彎曲、新年新月鉤寒玉。
鉤寒玉、鳳鞋兒小、翠眉兒蹙。

鬧蛾雪柳添妝束、燭龍火樹爭馳逐。
爭馳逐、元宵三五、不如初六。


《和訓》
  正月の初六日、夜の月
湾湾と曲りて、新年の新月は鉤なる寒玉。
鉤なる寒玉は、鳳の鞋小さくして、翠の眉の蹙(しじか)まる。

鬧蛾雪柳は妝に添へて束ねて、燭龍の火樹争ひて馳せ逐(お)ふ。
争ひて馳せ逐ふ、元宵三五も、初六に如かず。


《語釈》
・鉤(かぎ):新月のさま。
・寒玉:冷ややかに澄んだ美しい玉。竹や水、月などの形容。
・鳳鞋:おおとりの形の靴。弓なりの靴。
・翠眉:みどり色のつややかなまゆ。美人のまゆ。柳の葉の細く青々としていること。また、山が遠く青くかすんで見えること。
・蹙:ちぢまる。ちぢかむ。 ちぢこまる。なえる。
・鬧蛾:騒がしい蛾(が)。ここは宋代の婦人が元宵節につけた髪飾り(首飾り)。
・雪柳:バラ科の落葉低木。これも元宵節につけた金糸と絹紙で作る髪飾り(首飾り)。
・妝束:妝=粧、よそおい。 装束に通ずるか。
・燭龍:=燭陰。人面竜身の神で、1000里にもおよぶ赤い身体をしているという。自然の化身。風の神。息を吐くと風となり、大地を吹き抜ける。強く息を吐くと冬が訪れ、ゆっくりと吐くと夏になるという。
・火樹:灯火。篝火。
・燭龍火樹:孟浩然(689年-740年)の詩に「薊門看火樹、疑是燭龍燃。」の句がある。
・元宵:元宵節 春節から数えて15日目で、最初の満月の日。旧暦のお正月の締めくくりの日。 灯籠節とか上元節とも。その年の初めての満月の夜。元夕。元夜。元宵節には、豊年を祈願して、提灯や飾りを掲げるという。月夜の祭りなので、宵に外出する。
・初六:農暦正月6日。新春の五日間(「火」を点けず、「鋏み」に触れず、「包丁」にも触らない生活)を終えた旧正月6日目本当に新しい春を迎え、新しい年が始まる。
・不如: …に及ばない、劣る。やはり…方がよい。


《詞意》
ぐぐっと曲って、新年の新月は澄んだ美しい玉が細い鉤のよう。
その鉤のような寒玉は、鳳の細い弓なりの靴のようで、
また、みどり色のつややかな眉がちぢこまっているようでもあります。

元宵節には髪飾りの鬧蛾や雪柳を装束に合うように添へて束ねて、
燭龍のような赤く続く篝火を人々は争って走り回ります。
その争って走り回る15日の元宵節も、この6日の月の清清しい姿には及びません。


・朱淑真について

 
李清照(1084年 - 1153年)と同時代に生き、李清照と並んで宋代女性作家の双子星座と称されるのが朱淑眞です。
朱淑眞【朱淑真しゅしゅくしん。「朱淑貞」とするものもある】は、幽棲居士と号した女流の詩人です。祖籍は歙州(州治今安徽歙縣)ですが、生活したのは銭塘(今の浙江省杭州)の西湖の湖畔(涌金門付近)とされます。詩画音律に通じ、詩は風格宛約、「断腸詩集」十巻、「補遺」一巻、「断腸詩集後集」七巻、「断腸詞」一巻があり、斷腸詞人」と呼ばれています。
北宋末から南宋初にかけて生きた詩人ですが、彼女の生前の事跡について、詳しいことは分かりません。生卒年も確定できないようです。

一説に、北宋神宗元豊二~三年(1079~1080)に生まれ、南宋高宗紹興初め(1131~1133)に卒し、五十一~五十二歳で生涯を終えたとされます。
一一八二年に朱淑真の作品を最初に編纂した南宋の魏仲恭は、序文で「武林(今の浙江省杭州)へ行くと、旅の宿で好事家がしばしば朱淑真のうたを歌い伝え謡っていた。ひそかにこれを聞くたびに、一唱して三嘆しないものはない。私は嘆息するだけではたらず、筆をとってこれを写し、いささかでも九泉(死後の世界)の寂寞のほとりにある可憐な魂を慰めようとした」と書いています。
さらに、「若い頃から不幸で、両親が慎重にふさわしい配偶者を選ぶことをせず、市井の民の妻となった。一生鬱々として本志を得なかったので、詩には「憂愁怨恨」のことばが多い。風月に対するるに、またものに触れるたびに、いつも詩に寄せ、胸中の満たされない気持ちを表現した。しかし、ついに才能を認めてくれる人を得ず、心ふさいで楽しまず恨みを抱いたまま世を去った」と記し、悲愁のうちに過ごした人生だったといいます。


追補漢詩6 一覧・李清照の漢詩と詩論

 


 浯溪中興頌詩和張文潛二首
五十年功如電掃,華清宮柳咸陽草。
五坊供奉斗雞兒,酒肉堆中不知老。
胡兵忽自天上來,逆胡亦是好雄才。
勤政樓前走胡馬,珠翠踏盡香塵埃。
何為出戰輒披靡,傳置荔枝多馬死。
堯功舜德本如天,安用區區紀文字。
著碑銘德真陋哉,乃令神鬼磨山崖。
子儀光粥不自猜,天心悔禍人心開。
夏商有鑒當深戒,簡策汗青今俱在。
君不見當時張說最多機,雖生已被姚崇賣。

君不見驚人廢興傳天寶,中興碑上今生草。
不知負國有姦雄,但說成功尊國老。
誰令妃子天上來,虢秦韓國皆天才。
花桑羯鼓玉方響,春風不敢生塵埃。
姓名誰復知安史,健兒猛將安眠死。
去天尺五抱甕峰,峰頭鑿出開元字。
時移勢去真可哀,姦人心醜深如崖。
西蜀萬里尚能返,南內一閉何時開。
可憐孝德如天大,反使將軍稱好在。
嗚呼,奴輩乃不能道:「輔國用事張后尊」,乃能念:「春薺長安作斤賣。」


 感懷
宣和辛丑八月十日到萊,獨坐一室,生所見皆不在目前。几上有《禮韻》,因信手開之,約以所開為韻作詩。偶得「子」字,因以為韻,作感懷詩云:
寒窗敗几無書史,公路生平何至此。
青州從事孔方兄,終日紛紛喜生事。
作詩謝絕聊閉門,虛室生香有佳思。
靜中吾乃得至交,烏有先生子虛子。


 分得知字韻
學詩三十年,緘口不求知。
誰遣好騎士,相逢說項斯。


 偶成
十五年前花月底,相從曾賦賞花詩。
今看花月渾相似,安得情懷似昔時。


 詠史
兩漢本繼紹,新室如贅疣。
所以嵇中散,至死薄殷周。


 烏江
生當作人傑,死亦為鬼雄。
至今思項羽,不肯過江東。


 曉夢
曉夢隨疏鐘,飄然躋雲霞。
因緣安期生,邂逅萼綠華。
秋風正無賴,吹盡玉井花。
共看藕如船,同食棗如瓜。
翩翩座上客,意妙語亦佳。
嘲辭斗詭辯,活火分新茶。
雖非助帝功,其樂何莫涯。
人生能如此,何必歸故家。
起來斂衣坐,掩耳厭喧嘩。
心知不可見,唸唸猶咨嗟。


 春殘
春殘何事苦思鄉,病裡梳妝恨髮長。
樑燕語多終日伴,薔薇風細一簾香。


 夜發嚴灘
巨艦只緣因利往,扁舟亦是為名來。
往來有媿先生德,特地通宵過釣台。


 題八詠樓
千古風流八詠樓,江山留與後人愁。
水通南國三千里,氣壓江城十四州。


 上樞密韓公工部尚書胡公三首並序
紹興癸丑五月,樞密韓公、工部尚書胡公使虜,通兩宮也。有易安室者,父祖皆出韓公門下。今家世淪替,子姓寒微,不敢望公之車塵;又貧病,但神明未衰落,見此大號令,不能忘言。作古律詩各一章,以寄區區之意,以待採詩者云。
 其一
三年夏六月,天子視朝久。
凝旒望南雲,垂衣思北狩。
如聞帝若曰,岳牧與群後。
賢寧無半千,運已遇陽九。
勿勒燕然銘,勿種金城柳。
豈無純孝臣,識此霜露悲。
何必羹捨肉,便可車載脂。
土地非所惜,玉帛如塵泥。
誰當可將命,幣厚詞益卑。
四岳僉曰俞,臣下帝所知。
中朝第一人,春官有昌黎。
身為百夫特,行足萬人師。
嘉佑與建中,為政有皋夔。
匈奴畏王商,吐蕃尊子儀。
夷狄已破膽,將命公所宜。
公拜手稽首,受命白玉犀。
曰臣敢辭難,此亦何等時。
家人安足謀,妻子不必辭。
願奉天地靈,願奉宗廟威。
徑持紫泥詔,直入黃龍城。
單于定稽顙,侍子當來迎。
仁君方恃信,狂生休請纓。
或取犬馬血,與結天地盟。
 其二
胡公清德人所難,謀同德協心志安。
脫衣已被漢恩暖,離歌不道易水寒。
皇天久陰后土濕,雨勢未回風勢急。
車聲轔轔馬蕭蕭,壯士懦夫俱感泣。
閭閻嫠婦亦何知,瀝血投書干記室。
夷虜從來性虎狼,不虞預備庸何傷。
衷甲昔時聞楚幕,乘城前日記平涼。
葵丘踐土非荒城,勿輕談士棄儒生。
露布詞成馬猶倚,崤函關出雞未鳴。
巧匠何曾棄樗櫟,芻蕘之言或有益。
不乞隋珠與和壁,只乞鄉關新信息。
靈光雖在應蕭蕭,殘虜如聞保城郭。
嫠家父祖生齊魯,位下名高人比數。
當時稷下縱談時,猶記人揮汗如雨。
子孫南渡今幾年,漂流逐與流人伍。
欲將血淚寄山河,去灑青州一坯土。
 其三
想見皇華過二京,壺漿夾道萬人迎。
連昌宮裡桃應在,華萼樓頭鵲定驚。
但說帝心憐赤子,須知天意念蒼生。
聖君大信明如日,長亂何須在屢盟。



 詞論
   樂府聲詩並著,最盛於唐。開元、天寶間,有李八郎者,能歌擅天下。時新及第進士開宴曲江,榜中一名士,先召李,使易服隱姓名,衣冠故敝,精神慘沮,與同之宴所。曰:「表弟願與坐末。」眾皆不顧。既酒行樂作,歌者進,時曹元謙、念奴為冠,歌罷,眾皆咨嗟稱賞。名士忽指李曰:「請表弟歌。」眾皆哂,或有怒者。及轉喉發聲,歌一曲,眾皆泣下。羅拜曰:此李八郎也。」

自後鄭、衛之聲日熾,流糜之變日煩。已有《菩薩蠻》、《春光好》、《莎雞子》、《更漏子》、《浣溪沙》、《夢江南》、《漁父》等詞,不可遍舉。五代干戈,四海瓜分豆剖,斯文道息。獨江南李氏君臣尚文雅,故有「小樓吹徹玉笙寒」、「吹皺一池春水」之詞。語雖甚奇,所謂「亡國之音哀以思」也。逮至本朝,禮樂文武大備。又涵養百餘年,始有柳屯田永者,變舊聲作新聲,出《樂章集》,大得聲稱於世;雖協音律,而詞語塵下。又有張子野、宋子京兄弟,沈唐、元絳、晁次膺輩繼出,雖時時有妙語,而破碎何足名家!至晏元獻、歐陽永叔、蘇子瞻,學際天人,作為小歌詞,直如酌蠡水於大海,然皆句讀不茸之詩爾。又往往不協音律,何耶?蓋詩文分平側,而歌詞分五音,又分五聲,又分六律,又分清濁輕重。且如近世所謂《聲聲慢》、《雨中花》、《喜遷鶯》,既押平聲韻,又押入聲韻;《玉樓春》本押平聲韻,有押去聲,又押入聲。本押仄聲韻,如押上聲則協;如押入聲,則不可歌矣。

王介甫、曾子固,文章似西漢,若作一小歌詞,則人必絕倒,不可讀也。乃知詞別是一家,知之者少。後晏叔原、賀方回、秦少游、黃魯直出,始能知之。又晏苦無鋪敘。賀苦少重典。秦即專主情致,而少故實。譬如貧家美女,雖極妍麗豐逸,而終乏富貴態。黃即尚故實而多疵病,譬如良玉有瑕,價自減矣。

 

追補漢詩5 曉夢

 
  曉夢   李清照
曉夢隨疏鐘, 飄然躡雲霞。
因緣安期生, 邂逅萼綠華。
秋風正無頼, 吹盡玉井花。  (元績=無頼)
共看藕如船, 同食棗如瓜。
翩翩坐上客, 意妙語亦佳。  (坐=座)
嘲辭鬥詭辯, 活火分新茶。  (鬥=闘)
雖非助帝功, 其楽莫可涯   (莫可=何莫)
人生能如此, 何必歸故家。
起來斂衣坐, 掩耳厭喧嘩。
心如不可見, 念念猶咨嗟。   (如=知)
            ( )内は異本

暁の夢 疎鐘に随ひ
飄然(へうぜん)として雲霞を()み、
安期生に因縁して
萼緑華に邂逅(かいこう )す。
秋風は正に頼る無く
玉井の花を吹き尽くす。
共に看る(はちす)は船の如く
同じく食する(なつめ)(うり)の如し。
翩翩(へんべん)たり坐上の客
意は妙にして語も亦た佳なり。
嘲辞 詭弁を闘はし
火を活かして新茶を分かつ。
帝功を助けざると雖も
其の楽みは(はて)る可く()く、
人生 能く此くの如くなれば
何ぞ必ずしも故家に帰らん。
起き来って衣を(おさ)めて坐し
耳を(おほ)ひて喧嘩を厭ふに
心は見るべからさる如く
念念 (なほ)咨嗟(しさ)す。



・疏鍾・・まばらな鍾の声。
・飄然・・ふらりとやって来るさま。こだわらないさま。
・躡・・そっと足を運ぶ。
・因緣・・由来。
・安期生・・千歳の長生を得たという、秦時代の仙人。秦の始皇帝が長生の教えをこうために謁見したが、蓬莱山に捜しにくるようにといい、姿をけしてしまった。金液の服用により長寿を得たと伝えられる。李少君(安期生の弟子)は安期生に瓜のような大きなナツメをもらって食べて長寿を得たという。
・萼緑華・・古代の伝説中の南山の美少女、仙女。
・邂逅・・思いがけなく出会うこと。めぐりあい。
・無頼・・頼みにするところのないこと。
・玉井花・・韓愈の詩「玉井蓮詩」に「太華峰頭玉井蓮、開花十丈藕如船」"の句がある。
・藕・・蓮(はす)。ここは蓮の葉。「如船」は韓愈の詩による。
・棗・・ナツメの実。李少君の故事による。
・翩翩・・軽やかにひるがえるさま。ひらひら。かるがるしいさま。
・嘲辞・・あざけりの言葉。お茶比べの言葉であろう。
・詭弁・・間違っていることを、正しいと思わせるようにしむけた議論。
・活火・・「茶須緩火炙、活火煎」
・分新茶・・宋代の分茶という遊び。抹茶にお湯を注ぎ、茶筅で泡を立て花や動物などを図案を作り出す遊び。宋では新茶の季節に必ず「斗茶(闘茶)」が行われ、范仲淹の詩では「勝者登仙不可攀、輸同降将無窮恥」(勝てば、仙人になったように偉くなり、近よりがたい。負ければ、投降した将のようにその恥は窮まりない。)と詠われている。
・斂・・おさめる。斂衣は装いを整えるの意。
・喧嘩・・騒がしさ。
・猶・・なお、いまだに。
・咨嗟・・なげき嘆息すること。


【詩意】
(喧騒の時代にあって幻想的な中に身を置く冥想的詩篇。目覚めれば国家についても身の上についても辛く悲惨な状況にある。)

明け方に見た夢は まばらな鍾の音に乗って
ふらりと雲霞の中に入り込み、
千歳の長生を得た安期生に因み
美少女の仙女萼緑華に巡り逢いました。
秋風がちょうど無法にも
玉井の蓮の花を吹き尽くしています。
共に看る蓮の葉は大きくまるで船のよう
同じく二人で食べる棗も瓜の如くに大きいのです。
軽やかな坐上の客は
気持ちは言葉で表せないほどすばらしく言葉もまた美しいのです。
茶の善し悪しをあれこれと論じ比べ合い
湧かしたお湯を注いで新茶を楽しみます。
こんな楽しみが帝の功を助けることはないといっても
終わるはずはなく、
人生も都合よくこのようであれば
どうして必ず故郷に帰ろうと思うでしょうか。
目覚めた後、起きなおって装いを整えて坐ってみますが
世の中の喧騒は耳をおおうばかりでいやになります。
心の中は実際には見ることもできないのですが
その思いにただただため息をつくばかりです。



参考
  玉井蓮詩  韓愈
 太華峰頭玉井蓮,
 開花十丈藕如船。
 冷比雪霜甘比蜜,
 一片入口沈痾痊。
 我欲求之不憚遠,
 青壁無路難夤緣。
 安得長梯上摘實,
 下種七澤根株連。 

 

追補漢詩4 偶成

 
  偶成  李清照
十五年前花月底,
相從曾賦賞花詩。
今看花月渾相似、
安得情懷似往時。 

十五年の前 花月の(もと)
相ひ従ひて(かつ)て花を(たた)ふる詩を賦しき。
今 花月を看るに(あたか)も相ひ似たるも、
(いづく)んぞ往時に似たる情懐を得んや。



・底・・下。「花底、はなのもと」
・相從・・(いっしょ)に寄り添う。 ・從・・したがう。附き添う。
・曾(かつて)・・以前。前に。
・賦・・(詩を)作る、吟ずる。
・渾(すべて・あたかも)・・すっかり、まるで、ほとんど。すべて、まったく。ほとんど…ばかり。
・安・・怎。(疑問・反語を表す語を下に伴って)どうして。なんで。

【詩意】
花と月の美しかった十五年も前の春の宵、その花と月の光のもとで、
夫と二人共に花を愛でて詩を創ったことがありました。
夫亡き今 花も月もまるで以前のままに美しいのですが
どうしてあの時の心浮き立つ想いを蘇らすことができましょう。


この詩は夫趙明誠が亡くなった後のものであるが、具体的な時ははっきりしない。
目の前の景色が以前夫といっしょにいた幸福だった生活を呼び覚まし、感慨深く思い、今の辛さが更に増幅される心情を詠っている。

 

追補漢詩3 題八詠樓

 
 題八詠樓  李清照
千古風流八詠樓,
江山留與後人愁。
水通南國三千里,
氣壓江城十四州。
 
 千古の風流 八詠楼、
 江山 留め与ふるは 後人の愁ひ。
 水は通ず 南国 三千里、
 気は圧す 江城 十四州。



五十二歳のとき(紹興五年・1134年)、金軍が臨安に迫り、臨安の西南にある金華に避難したときの作。
・八詠樓・・玄暢楼のこと。南朝斉の東陽太守沈約が立てた建築物で、玄暢楼を詠んだ詩作八首に基づく名。浙省金華。
・後人愁・・後人はこの詩の場合、作者とその同じ時代の人を指す。愁は、八詠楼から見える国土が金の敵に侵略された憂い。
・水通・・川は流れている。
・三千里・・極めて広い範囲ことをいう。
・十四州・・ここは、江南一帯。広い地域の意。

 
【詩意】 
千古の昔から、風格高く風雅なたたずまいの玄暢楼。
この楼閣から眺める景色の美しいさは、却って、私の憂いを増すばかり。
川や運河は江南の広い地域を通って、南の各都市へ繋がり、
憂国の気が川沿いの広大な江南一帯の十四州までも圧している。


夫・趙明誠に死なれて後は、金の中原への侵略によって、南国の江南の地を逃げまわる生活を強いられた。その時の心境を表した詩のひとつである。
国破れ、北から南へ逃げる惑う戦乱の中で、八詠楼の景色のすばらしさを詠うことによって、南宋の皇帝や南宋官僚の腐敗を批判している。第2句の「江山」「留与」「後人愁」の言葉には、強烈な批判が含められている。

 

追補漢詩2 春殘

 
 春殘   李清照    
春殘何事苦思郷
病裡梳頭恨髪長
梁燕語多終日在
薔薇風細一簾香

 春残(しゅんざん)何事ぞ(はなは)(きょう)を思ふ
 病裏(へいり)(こうべ)(くしけず)りて髪の長きを恨む
 梁燕(りょうえん)()多くして終日(しゅうじつ)在り
 薔薇(しょうび)風細やかにして一簾(いちれん)(かんば)


春殘・・晩春
苦・・しきりに、とても
梁燕・・梁の上に巣をかけている燕
語多・・燕がしきりにさえずり交わしている


【詩意】
春もゆこうとしているいま、何故かとても故郷が懐かしく思われます。
病床にあって、髪をすくと、あまりに長さが煩わしく思えます。
梁の上の燕は日がな一日さえずり続け、
庭の薔薇がそよ風に乗って簾ごしに薫っています。


堀辰雄は好きな本のひとつに『歴朝名媛詩詞』をあげ、そのなかでも一番好きな詩人は、李清照で、この「春残」を、「そのうたの意味はね、病み上がりの美人が、窓辺に頬杖でもついて、何かもの思いに耽っているとかすかな、ちょっと簾を動かすだけの風が吹いてきて、薔薇の匂いがかすかにしてきた、というようなものだけど──風ほそくして、なんて言うのはいい言葉でしょう、」と言ったという。(中里恒子の随筆「石榴を持つ聖母の手」)

 

追補漢詩1 絶句(夏日絶句・烏江)


  絶句 (夏日絶句・烏江)
      李清照
 生當作人傑,
 死亦爲鬼雄。
 至今思項羽,
 不肯過江東。


生きて、当に、人傑と()り、
死して、亦、鬼雄と()るべし。
至今(いま)、項羽を思ふ、
江東()たるを肯せんせざるを。


・烏江・・安徽省を流れる川。項羽が劉邦によって滅ぼされた地。
・人傑・・衆に抜きんでて優れた人物。
・鬼雄・・幽鬼の中でぬきんでている者。殉国の英雄。
・至今・・今に至って。今なお。

【詩意】
人間は生きている間、人傑になるべきである。
たとえいつか死ぬ時になっても、鬼中の英雄になるべきのである。
今になっても、私は昔の項羽のことを懐かしく思ったのだ
彼はすくなくでも、死んでも、江東へ戻らないという気迫があったのだ。
 生きては豪傑となり
 死してまた英雄となれ。
 いま項羽を思う、
 逃げずに自刎した彼を。


この詩は、秦(前221-前206)末の武将、項羽(前232-前202)の物語を借用して、異民族の金に侵略され南方に逃れる皇帝と官僚たちの腐敗と不甲斐無さを批判諷刺するもの。
項羽は秦の暴政に対し立ちあがり、その強力な戦闘力により勝利し続けたが、最後に垓下で劉邦に敗れる。その際、追い詰められた項羽は逃げようと思えば逃げられたが、逃げては決起した時に江南から連れてきた8000人の若者の父母に会わせる顔がないといい自刎する。詩の、死してなお英雄となった、とはこの行為を指す。こうした歴史を表に出して、憤慨する気持ちを強く表現した詩であろう。


この時の項羽の詩。
 垓下歌  項羽
力拔山兮氣蓋世,
時不利兮騅不逝。
騅不逝兮可奈何,
虞兮虞兮柰若何。

力 山を抜き 気 世を蓋う
時 利あらずして 騅 逝かず
騅の逝かざる 奈何すべき
虞や虞や 若を奈何せん
(自分の力は山を抜き、覇気は世を覆うほどであるというのに、時勢は不利であり、騅(すい)も前に進もうとはしない。騅が進まないのはどうしたらよいのだろうか。虞(ぐ)や、虞や、お前の事もどうしたらよいのだろうか)騅は名馬、虞は項羽の愛妾で、自殺した虞美人の伝説はヒナゲシに「虞美人草」という異名がつく由来となっている。