2021年5月4日火曜日

46-多麗・白菊

 
 多麗
  詠白菊    李清照
小樓寒
夜長帘幕低垂。
恨瀟瀟 無情風雨
夜來揉損瓊肌。    (揉=摻)
也不似 貴妃醉臉
也不似 孫壽愁眉。
韓令偷香       (香=眅)
徐娘傅粉
莫將比擬未新奇
細看取 屈平陶令
風韻正相宜。
微風起
清芬醞藉
不減酴醾。      (醾=噌)

漸秋闌
雪清玉瘦
向人無限依依。
似愁凝 漢阜解佩
似淚灑 紈扇題詩。
朗月清風       (朗=明)
濃煙暗雨
天教憔悴瘦芳姿。   (瘦=度)
縱愛惜 不知從此
留得幾多時。
人情好
何須更憶
澤畔東籬。

       ( )内は異本
       (「蘭菊」と題するもある)

《和訓》
小楼の寒くして
夜の長きに帘幕(とばり)低く垂らして
瀟瀟(せうせう)たるを恨む 無情なるかな風に雨
夜来(よごろ)(さす)り損ふは瓊(たま)の肌(はだえ)。  
似ざるや 貴妃の酔ひし臉(かんばせ)
似ざるや 孫寿の愁ひの眉に。
韓令は香を盗み
徐娘(じょじょう)は粉(おしろい)に傅(かしづ)くも
比擬(なぞらふる)を将(もっ)て未だ新奇ならずとする莫(なか)
屈平陶令を細かに看取るや
風韻正に相宜ろし。
微風(そよかぜ)の起ちて
清らかなる芬(かをり)ただよひ 醞藉(あぢはひ)ふかくして
酴醾(にごれるささ)の減らざり。      

(やうやく)く秋闌(た)
雪清く玉痩せて
人に向かひて依依として限り無し。
愁ひ凝(こご)るは 漢の阜(おか)に佩(おびだま)を解くに似て
涙の麗しきは 紈扇(きぬのあふぎ)に詩を題するに似たり。
月朗らかにして風清(すが)しく      
煙濃くして雨暗く
天は教ふ、憔悴(やつれは)てて瘦(やせ)しに芳(かんば)しき姿を。  
(よし)や愛惜むも 此従(よ)りは知ざり
留め得たるや 幾多の時。
人の情(なさけ)好しきや
何ぞ須(すべから)く更に憶ふべし
沢の畔(ほとり) 東の籬(まがき)に。


《語釈》
・小楼:西楼。女性の居室。彼女の居る部屋。
・夜来:昨夜以来。
・瀟瀟:風雨が激しいさま。 もの寂しく感じられるさま
・瓊:玉のように美しい。・瓊肌(けいき):白菊をいう。
・揉:こする、もむ、さする。・損:損なう,傷つける
・貴妃:楊貴妃。唐の玄宗皇帝の妃。絶世の美女。
・臉:顔。表情。・貴妃醉臉:牡丹の花をいう。
・孫壽:梁冀の妻。容色は美しく而して善く妖態を為し愁眉を作り、齲歯笑をして以って媚惑を為すと後漢書【梁冀伝】にある。
・愁眉:眉が細く而して曲折しているもの。心痛の面持ちで憂いに沈んだ眉。
・新奇:目新しくて珍しいこと。
・韓令:韓弘。節度使として軍功がある。長安に邸を賜ったとき、庭にみごとな牡丹があったがそれをよろこぶのは女子供と、「吾、豈に児女子に効(なら)わんや」と、すべて切りすてた。晩唐の羅隠の七言律詩「牡丹花」に「可憐韓令功成後 辜負穠華過此身(哀れな事にかの大手柄を挙げた韓公は咲き誇る牡丹の美しさに目を向けず、つまらない人生を送ってしまった)とある。
・偷:盗む。掠める。
・徐娘:梁元帝蕭繹の妃徐昭佩。帝が片目だったので顔の半分だけ厚化粧して迎えると帝は憤然として帰ったという。また、「徐娘半老、风韵犹存」(年増だけれどまだけっこう色っぽい)という成語があるところから、女盛りを過ぎても美しさや魅力がまだ残っている女性という意味か。   
・粉:おしろい。・傅:傅(かしづ)く。傅(いつ)く。・傅粉:半面化粧の故事による。
・莫將:…をもって…とするなかれ。…を…としないでほしい。 ・莫:禁止、否定の辞。 
・將:ある物事、特に並列または対立する物事をとりあげて、推理・判断する気持ちを表す。あるいはまた。もしくは。さりとて。思っていたとおり。
・比擬:他のものとくらべる。なぞらえる。比較。
・屈平:楚の政治家・詩人である屈原。憂国の情のあまり、汨羅(べきら)で自殺した。自身の高潔な気節と心情を秋菊に託している。「夕餐秋菊之落英」(「楚辞・離騒」)。
・陶令:陶淵明(陶潜)、東晋の詩人。役人生活の束縛を嫌い故郷で酒と菊を愛する自適の生活を送る。「帰去来辞」「桃花源記」などが有名。「飲酒二十首」に「採菊東籬下 悠然見南山」(「其五」)「秋菊有佳色」(其七)とある。
・屈平陶令:屈原陶潜の愛した菊。
・看取:われを忘れて見つめる。心を奪われて見入る。見ほれる。
・風韻:風流なおもむき。風趣。風情のある味わい。風雅なおもむき。
・芬:よいかおりのする。匂いただよう。芳香。
・醞藉(うんしゃ):蘊藉と同じ。おくゆかしくおだやか。寬博にして余あり。含蓄がある。味わいがある。・醞:かもす、醸造する。
・酴醾(とび):にごりざけ、麥酒のカスを去らざるもの(濁醪)。また、蔓生の落葉灌木(白山吹)の名(夏初白花を開き色酴醾酒に似る故に名づく)でもある。
・闌:いちばん盛んな時。最盛時。季節が深まる。(時の区切りの)終わりに近い、遅い。
・玉瘦:李清照の「臨江仙 梅」や「殢人嬌」に同様の表現があり、玉は梅や栴檀をさしている。玉は美称で、ここでは白菊をいう。。
・向人:人に向かって。花が人に対して咲いていることを擬人化していう。
・依依:名残おしく離れがたいさま。恋い慕うさま。名残りが尽きぬさま。
・漢阜:山の名。・阜:丘
・佩(はい):おびだま。腰帯とそれにつりさげた玉(ぎよく)・金属器などの総称。
・漢阜解佩:故事による。「誓いし人の帰らざる怨み」をいう。
・紈扇:絹張りのうちわ。
・題:書き記す。
・紈扇題詩:これも「恩情の途中で途絶えた女の慨嘆」をいう。「古詩源」に漢代宮中の女官班倢伃の「怨歌行」と題する詩に、己を扇に見立てながら、夏の間は微風を発して喜ばれても、やがて秋風とともに棄捐されるように、自分も捨てられる身であったことを嘆いたものがある。能の「班女」の典拠でもある。
・煙:霞(かすみ)。靄(もや)。
・縱:たとえ…でも、よしんば。
・何須:なんぞすべからく。する必要がない。なんぞもちゐん。 ・須:当然。すべからく…べし。
・澤畔:「楚辞・漁父」に「屈原既放、游於江潭、行吟澤畔」とある。
・東籬:陶潛の「飮酒二十首 其五」に「采菊東籬下、悠然見南山」とある。
・籬:竹・柴などを粗く編んで作った垣。まがき。ませ。ませがき。

《詩意》
私の居る部屋は秋も深まり涼しさをまして
夜の長さにとばりを低く垂らしています。
激しく無情な風や雨にひたすらもの寂ししくなるのを恨むばかりです。 
昨夜来(寒さで私は・雨風が白菊の)艶やかな肌をさすり続けています。  
牡丹のごとき楊貴妃のほのかに酔った表情に思い比べ
妖しくも艶かしいといわれた孫寿の愁ひの眉に思い比べます。
節度使の韓弘は庭の見事な牡丹を皆掠め取り
梁元帝蕭繹の妃の徐昭佩は半面の化粧で仕えましたが
これに譬えるのは少しも新奇でないと言わないでください。
屈原や陶潜の愛した白菊の花を細かに心を奪われて見入りますと
その風情のある味わいは本当にすばらしいものです。
そよかぜが吹くと
清らかな香りがただよい おくゆかしい味わいが増しますから
お酒も減らないほどに この白菊をじっと眺めています。      

しだいに秋が深まり
清らかな雪が降り 白菊はやつれやせてほっそりとしてしまいましたが
私に対していつまでも名残りが尽きない風情です。
その愁いにじっと思いをこらす姿は 漢阜で腰の飾りを解いた娘の怨み似て
その涙の露の麗しさは 女官班倢伃が絹の扇に詩を題した嘆きに似ています。
月が晴れ晴れと明るいく 風のさわやかで気持ちがよい日にも      
また、霧が濃く 雨の暗く降る日にも
やつれはてやせてはいても 心引かれる芳しい姿を見せています。  
よしんばどれだけ名残惜しく思っても これからのことは判りません
どれほどの時間 引きとどめることができるでしょう。
人(屈原陶潛また私)の菊へのいつくしみがどれほどのものでも
どうしてこれ以上に菊に心をかければいいのでしょう
屈原や陶潛に倣い、沢のほとり 東のまがきのもとに佇んだままに。

(李清照の詞には古詩に拠るものが多く見られるが、語釈に一通りは記したがこの詞は特に多くの故事を踏まえている。)

 

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