臨江仙 李清照
歐陽公作《蝶戀花》﹐有“深深深幾許”之句﹐予酷愛之。用其語作“庭院深深”數闕﹐其聲即舊《臨江仙》也。
庭院深深深幾許
雲窗霧閣常扃
柳梢梅萼漸分明 (梅萼=樓萼)
春歸秣陵樹
人老建康城。 (老=客)(康=安)
感月吟風多少事
如今老去無成
誰憐憔悴更雕零
試燈無意思
踏雪沒心情。
(=燈花空結蕊、離別共傷情)
( )内は異本
《和訓》
欧陽公(欧陽脩)「蝶戀花」を作るに、「庭院深深深幾許」の句 有り、予 之を酷愛す。其の語を用ひて「庭院深深」数闕を作る、其の声は即ち旧「臨江仙」也。
雲かかる
柳の
春は
人は
月に感じ、風に吟ずるは、
雪を踏めども
《語釈》・庭院:塀に囲まれたにわ。奥庭。
・深深:奥深い。。
・深幾許:どれほど深いのだろう。
・幾許:どれほど。
・雲窗霧閣:雲や霧で包まれた建物の窓や高殿。
・扃:(かんぬき。けい)とざすもの、かんぬき。とざす。
・柳梢:やなぎのこずえ。
・梅萼:梅の花のガク。
・漸:ようやく。だんだん。
・分明:はっきりと明らかなこと。
・春歸:春が戻っていく。春が過ぎようとする。日を送る。
・秣陵:県名。江蘇省江寧県の東南。現・南京。
・人老:人は老いる。ここの「人」は自身。
・建康城:。建康。都市名。南京の呼称。夫趙明誠が知事であった地。
・多少事:多くのこと。いろいろなこと。
・如今:今。現在では。
・老去:年々歳を取る。死ぬ。 ・無成:する気が起こらない。
・誰憐:誰が一体憐れんでくれようか。
・憔悴:やつれる。 ・更:その上に。
・雕零:=凋零。花がしぼんで落ちること。死ぬこと。
・試燈:元宵節(灯節・小正月・一月十五日)の前、予行に灯火をともすこと。新年最初の満月の夜、春の到来を祝って提灯に火を灯し月を眺めた。
・無意思:興趣が湧かない。おもしろいと思わない。
・踏雪:雪の中へ風雅を求めて出ていくこと。
・沒心情:そのような気分でない。興趣が湧かない。
・沒:打消し。無に同。
《詩意》
庭は幾重にもひっそりと奥深く、その深さは幾許でありましょう。
雲や霧で包まれた奥深い建物の窓や高殿はいつも閉ざされていてもの寂しく、また、移ろいゆく春の景色を見るのもいとわしいものです。
早春からだんだんと春は深まり、柳の梢や梅の萼の緑が、ようやくはっきりとしてまいりました。
このように、春はまたこの秣陵の樹々の上にやってまいりましたが、この建康の町で折々の季節を送り、私は老いてやがては死んでいくのでしょう。
月や風といった自然に親しみ、風雅吟行にも楽しみは多いのですが、
歳老いてしまった今となっては、なにもする気が無くなってまいりました。
このやつれ果て、落ちぶれ果てたわたしを誰が憐れんでくれましょうか。
試燈の行事で火を灯しても、なかなか興趣は湧きませんし、
春の雪の中へ風雅を求めて出ていっても、夫と一緒だった若い時のような楽しい気持ちは湧くわけもないのでございます。
【訳詞】
ひそり静める奥の庭
春は梢に来たれるも、
我この町に老いゆけり。
月に風にと、
老い行くこの身は、気もやらず、
春の雪踏みてさえ、
《鑑賞》
一人取り残された深い悲しみが胸に迫ります。「淸平樂」年年雪裡でも同じ想いが詠われています。
また、この詞に、李清照は、
〔 欧陽脩の「蝶戀花」にある「深深深幾許」を愛し、其の語を用ひて作る〕と自ら注を付けていますが、
その欧陽脩の「蝶戀花」は、
庭院深深深幾許
楊柳堆煙
簾幕無重數
玉勒雕鞍遊冶處
樓高不見章臺路
雨橫風狂三月暮
門掩黄昏
無計留春住
涙眼問花花不語
亂紅飛過秋千去 というもの。
【欧陽脩】(1007-1072)北宋の政治家・学者。王安石と対立。唐宋八大家の一人
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